ランナーズ・ジャーナル JAPAN (Runners-Journal.Jp)

事実に基づいた「真実のコラム」を掲載しています。今だからこそ伝えたい「本当のこと」をありのまま伝えたいと思います。

カテゴリ: コロナに負けるな!

富士山女子駅伝に出場予定だった大阪芸術大学が新型コロナ感に染し出場辞退。

全国高校バスケ(ウィンターカップ)でも出場辞退する高校が複数出ている。

新型コロナは、全国各地のスポーツイベントで様々な影響を与えている。

そういう話を聞くと箱根駅伝出場校は大丈夫かと心配になる。

箱根駅伝まで、あと8日。

発熱したり味覚異常を訴える選手が一人でも出たら即アウトになる。

「レギュラーメンバーじゃないから…」などと言って誤魔化すことは出来ない。

登録メンバーに入ってなくても同じ寮に住んで居たら残念ながら一発アウトである。

ここまで体調管理に失敗することはあり得ないし油断をするチームなどないだろう。

登録メンバーは、練習以外の外出禁止。

チームメイト以外の人との接触禁止などは、当たり前。

いかなる理由があろうとも体調を崩すことは出来ない。

昨年までなら個人の問題で済んだ。しかし、今年は、チーム全体の問題となる。

この一週間は、いよいよ、チームのピリピリ度が最高潮に達する時期を迎える。

「あのチームは、調子が良いと聞いていたのに…勿体ない…」

そう悔やまれることがないように体調管理には万全を期して欲しい。

お正月の箱根路を全チームが揃って走る姿が見れることを期待している。

連日、感染者数が増えていくニュースが流れている。

政府・分科会・医師会からの自粛要請や油断への「警鐘」も連日訴えられている。

そんな中でも構わずに遠征をして合宿をしている危機意識の薄いチームがある。

また、その事実を知っていても黙認している所属企業・陸連・合宿勧誘地の行政機関。

「少しでも経済的な支援になれば良い」

「合宿に行って地方にお金を落とすことが支援になる」

「経済を停滞させないためにも合宿は継続すべき」

「走るのは仕事だから例年通りの流れで合宿を行っている」

「感染症対策を万全にしているので問題はない」

それをニュースで流したら悲痛な思いで生活をしている人たちは、どう思うだろうか。

移動を控えるように。動かないように。自粛するように。

菅首相のように事がバレなければ平気で連日会合に参加していると痛い目に遭う。

一般国民に自粛要請をしている中でも話題にならないように合宿をする。

そんなことが本当にあっていいのか?許されるのか?

スポーツ選手は、特別扱いでいいのだろうか?

真面目に自粛要請に従っている方々に対して何の感情も抱かないのだろうか?

もし、テレビ局が合宿の様子をニュースで流したら、どう思うだろうか?

「それっておかしくないか!」

「自粛って言われたら自粛すべき!」

「スポーツ選手だけが特別扱いなんて許せない!」

そんな感情を抱く人々がいても不思議ではない。

日本のスポーツ界・陸上界が勘違いしているのは、自分達は特別だという意識。

大きな組織の後ろ盾があるから平気で空気の読めないことをする。

みんながみんな、スポーツへの理解者ではない。

みんながみんな、駅伝を開催して欲しい訳ではない。

みんながみんな、スポーツ選手は夢を与えてくれると思ってはいない。

このコロナ禍にスポーツ活動をすることに違和感を抱いている人は少なくない。

「自粛要請期間」に平気で合宿を行っている事実を知れば憤りを感じる人は一定数いる。

分からなければいい。

知られなければいい。

こっそりと行えばいい。

そんな気持ちでいるとしたらスポーツ選手の常識と倫理観を疑われる。

どのような理由があるのせよ世間様に知られないまま済ませることなど出来ない。

少なくとも一部のメディアは、どこで誰が合宿しているかの調べがついている。

「ある日突然世間に知られて後ろめたい気持ちになる」

菅首相のようなことにならないようにして気をつけて欲しいと願う。

例年通りの大歓声がスタンドや沿道から聴こえなくても駅伝は盛り上がる。

沿道の声援が無くても競い合う相手がいれば駅伝選手は最高のパフォーマンスが出来る。

ライバルに負けたくない気持ち、絶対に結果を出したい気持ちが強ければ快走をする。

無観客であっても、沿道からの声援が無くても駅伝選手は素晴らしい走りが出来る。

「自分が声援を送ったから、ウチの選手は、頑張れた」

「私の声が届いたから、あの子は、快走した」

そう思いたいのは、選手の家族や学校関係者だろう。

確かに沿道からの声は選手の耳に入る。

特に校名で応援されたり、自分の名前を叫ばれるとハッと我に返る時もある。しかし…

励まされることもあると思うが実際には沿道の声によって勝敗が左右したりはしない。

結局は、集中力を高めてゾーンに入った選手が強い。

自分の世界に入り、呼吸や足音、加速していく感覚を研ぎ澄まして走る選手が快走する。

そもそも陸上競技とは個人競技である。

「駅伝はチームワークが大事」と言っても連携プレーが不可欠なサッカーなどとは違う。

自分一人の頑張りで戦うのが陸上競技であり、駅伝である。

「沿道の声で頑張れた!」というのは半分以上はリップサービスである。

大抵の場合、強い選手ほど集中力が高まり自分の世界(ゾーン)に入っている。

後から「あの辺りで声がしたなぁ」と思い出す程度。

声援は、無いより有る方が良いが、無いからといって結果は大きく変わらない。

選手がやるべきことは、同じ区間を走る相手に勝つこと。他校より先に襷を渡すこと。

つまり、自分の世界に入ってキツさや苦しさから解放された精神状態を作った者勝ち。

コース上に応援する人が全く居なかったとしても何も心配ない。

駅伝に勝ち負けがある限り、選手達は力の限り精一杯頑張るだろう。

ライバル校との闘いに挑む意欲がある限り、激しく競う姿を見せてくれるだろう。

全国優勝したいというモチベーションがある限り、積極的な走りをしてくれるだろう。

選手は、過去最高の走りを目指すから見応えがある好レースになる。

では、沿道での観戦に自粛要請が出ている状況下で出来ることは何か?

まず、レース前日までに沢山の人が注目していること選手に理解させることが大事。

クラスメイトや全校生徒が、テレビに釘付けになるのは当然毎年のこと。

自分の走りを市民・県民が観ていることを「数字」で理解させること。

テレビ観戦すれば視聴率として「数字」が分かる。

ネットでライブ中継を視聴してもアクセス数で「数字」が分かる。

何万人がライブで全国高校駅伝を観ているか。その数の多さが選手に力を与える。

47都道府県の代表校が出場しているのだから、国体のような感覚で応援する。

在住地の出場校を応援するでも、出身県で応援するでも良い。

兎に角、一人でも多くの国民が駅伝中継を観ることが大事。

「俺たちの走りを観ている!」という情報が選手に力を与える。

今までの常識ではあり得ないような視聴率を叩きだせば、それが選手の力になる。

「1区を終えた時点での視聴者数は半端ない!」

「過去最高のアクセス数になっているみたい!」

そんな言葉を付き添いが次の走者に伝えれば、選手のモチベーションは高まる。

「今、俺たちは、どんでもない数の人に観られている」

「そんなに沢山の人が観ているんだから、みっともない走りは出来ない」

「よし、だったら快走をして観てくれている人に感謝の気持ちを伝えよう!」

選手が、そう思えたとしたら、それほど心の支えになることはない。

中継所にモニターを置き、母校のリモート応援を選手が待機しながら観れる工夫。

テレビ中継でのデジタル表示で応援メッセージ数が見れる工夫。

ライブ中継でのアクセス数とメッセージが選手に届きやすい工夫。

ウォーミングアップ時、スタート前、襷の中継時などに応援者数が分かる工夫。

学校毎に応援メッセージ数を表示すれば、学校、市、県を挙げて数を増やすはず。

数が少ないままでは「市民・県民」が興味関心がないことを全国に知られてしまう。

不名誉な「数字」を残すのは、絶対に避けようとする。

「〇〇高校へのアクセスが一番少なかった」

「アクセス数トップの学校との差は、数万にも及んだ」

そんな不名誉を選手や学校に味合わせてはならない。

選手は、沿道での応援がなくても全力で頑張るのだから、市民・県民もひと肌脱ぐ。

数で他県に負けないように視聴率・アクセス数を全力で増やす努力をする。

それが、選手への声援として伝わる一番の方法になる。

選手達は競走をしているのだから、応援する側も競い合って応援する。

学校毎の応援メッセージ数を表示して競わせる。

それが沿道での応援以上に選手への励みになる。

「今年の全国高校駅伝は、視聴者数で勝負が決まる!」

「アクセス数で日本一を獲得するのは、どの高校か!」

そういう触れ込みが勝敗を左右するとしたら応援の仕方も変わる。

コロナ禍で駅伝を楽しむ方法は沢山ある。

まずは、「観て応援!数で応援!」をテーマとして全国高校駅伝を観戦して欲しい。

新型コロナは、スポーツ界に大きな影響を及ぼしているのは周知の通り。

特に中学生や高校生にとって最も価値がある全国大会中止の影響は大きい。

「ずっと目指してきた”夢の舞台”がなくなることで生徒達は目標を失う」

「力を発揮する場がなくなった喪失感は心にダメージを与える」

「特に最終学年の生徒は、最後に戦う舞台が無くなってかわいそう」

ニュースでも、生徒の気持ちを代弁するコメントが多く見られる。

確かに失くしたものの大きさと価値を理解していれば当然のコメントである。

その一方、全く違う考え方をしている選手がいることは殆ど知られていない。

「今年の大会が無くなって良かった」

「内心では、正直言ってホッとしている」

そう思っている選手がいるのも事実。

では、どんな選手が、そう思っているのだろうか。

小学生時代に活躍したが、中学生になって伸び悩んでいる選手。

中学時代、全国トップレベルの選手だったのに高校では勝てなくなった選手。

勝てなくなっている選手。思うような結果を出せずにいる選手。

それを認めれずに故障や体調不良を理由にしている選手。

レースに臨むのが怖くなり、出来ることなら出場したくないと思っている選手。

そういう選手にとっては、大会の中止はグッドエクスキューズになった。

口では「とても残念」「今年は勝負したかった」「走りたかった」と言う。

しかし、心の中では「良かった…」と安堵している選手は少なくない。

全国標準記録を破れずにいる選手。

かつて負けたことのない選手に勝てなくなっている選手。

リレーメンバーから外されてしまう可能性があった選手。

レースで結果を出せないと監督・コーチから叱責されるチームの選手。

勝てなくなっている自分の姿を見て落ち込む両親の姿を見たくない選手。

みんながみんな大会が中止になって落ち込んでいる訳ではない。

中止になったことでストレスを感じなくなって救われた選手は多数いる。

高校野球選手だって同じである。

「夏の甲子園も中止になればいいのに」と思っている高校球児は少なくない。

「レギュラーになれないくらいなら甲子園が無くなってしまえば良い」

「監督に暴力を振われるのは、もう、うんざりだからサッサと引退したい」

「プロになる訳じゃないから、この機会に野球人生を終わりたい」

野球関係者やマスコミは、スポーツを”美談”にしがちだが実際には違う。

理不尽な世界であり、威圧的な世界。そして、確執・怨恨がある世界だ。

親が期待するから渋々三年間続けている選手。

名門と言われる高校を卒業したいから嫌々でも我慢している選手。

活躍する場が無いからモチベーションが落ちてやる気を失っている選手。

スポーツの世界は、決して美しくなんかない。

スポーツの世界は、感動物語ばかりではない。

スポーツの世界は、美談とは程遠い現実がある。

勝者だけがスポットライトを浴びることへの妬みに溢れている。

監督・コーチから期待されない選手が辛い目に遭っている。

全ての選手が真面目で純粋で仲間を思いやる気持ちを持っている訳ではない。

新型コロナによる休校措置が取られて部活動が無いことを喜んでいる生徒は多い。

大会が無くなり厳しい練習をせずに引退出来て良かったと思っている選手も多い。

心から悔しくて涙を流している選手は、絶望感を味わっている。

正直、ホッとしている選手は、新たな目標へ気持ちを切り替えている。

環境を変えて新しい舞台で活躍することへの希望を持ち始めている。

コロナによって道を絶たれた生徒がいれば、新たな道を見つけた生徒もいる。

最終学年の生徒達の心には、それぞれの思いが交差している。

それが”絶望”であっても”希望”であっても、彼らの春は過ぎていく。

様々な思いがある中で今まで経験したことがない夏を迎えようとしている。

先の見えない状況の中で迎える夏。

スポーツに懸けた思いを何らかの形で表現できる夏であって欲しいと心から願う。

このサイトでは、早い段階からインターハイに代わる大会を提案してきた。

全国一斉記録会。都道府県毎にタイムトライアルを行い全国ランキングを決める。

 9月・10月を目途に行うことで一定の練習期間も確保出来る。

文科大臣杯という冠がついていることが選手達のモチベーションを高める。

ランキング・トップ10に入る名誉はインターハイ入賞に匹敵する。

インターハイは、都道府県予選、ブロック予選ともに順位決定戦である。

6位内に入り全国への切符を手にする名誉は、格別なものがある。

レースでの勝負強さが試される大会として大きな役割を果たしている。

勝負強さの価値は何ものにも代えがたい。

実業団が欲しがる選手として高く評価される。

その反面、順位を気にするあまりスローペースになる傾向がある。

将来、世界で通用するレベルに引き上げる大会としては物足りなさもあった。

もし、タイムを競い合う大会が全国一斉に開催されたら面白い。

競技場の質、大会の雰囲気、選手のレベル、当日の天候。

すべての条件が違うからこそ面白い大会になる。

見えない相手と競い合う想像力のある選手は誰か。

気まぐれな天候を味方につけるのは誰か。

幸運を呼び込める特別な才能を持った選手は誰か。

それらを見極められるのが、文科大臣杯の価値となる。

そして、何よりも「真の陸上王国」を決められる大会となる。

ランキング上位者が複数人出るのは、一体、どこか。

考えただけでワクワクする。

間違いなく大会は盛り上がる。

間違いなく好記録連発の大会となる。

間違いなく近年稀に見る大成功大会となる。

新型コロナ感染が収束し、再び文化的な催しが行える状態になったら…

是非とも無限の可能性を開花させる場をつくって欲しい。

自粛生活のうっ憤晴らすように選手達は激走してくれるはずだ。

文科大臣杯2020の開催を心から期待したい。

自粛要請期間に一気に増えたのが、ランニングをする人。

公立公園や河川敷などの場所で走る人が日に日に増している。

普段から走り慣れている人が、最近の様子を話してくれた。

「なんだか最近は、やたら人が多くて走りにくい」

「普段走っていないと思われる人が一気に増えた感じがする」

「そういう人は、一目瞭然、すぐに分かる」

「暗黙の了解的な”流れ”に乗って走れないから、こちらが気を遣う」

「でも、そういう人に限って、自分のことがまったく見えていない」

「自分はどうあれ、他人のことが気になるみたいで粗探しをする」

「悪者捜しをしていると言うか、弱い者いじめをしていると言うか」

「特に中学生や高校生に対する当たりは強い」

「子供が大人に感染させるという思い込みがあるからだろうか」

「中高生を見つけたら『コラ!部活ダメだろ!』と声を荒げる」

「大人が数人で一緒に走っていても注意しないのに中高生には厳しい」

「『おい!部活か!』とか『どこの学校だ!』と怒鳴って道をふさぐ」

「中高生が困った顔をしたり、泣き出しそうになるのを見て立ち去る」

「ワザと中学生や高校生がいる公園を走り「部活狩り」をしている」

「あれでは、一生懸命に走っている生徒がかわいそうだ」

そんな話をしてくれた。

”自粛警察”と言われる輩だろうか。正義感をかざして「部活狩り」をする。

大人のジョギングは許されて、中高生の自主練習はダメ。

その理由は、子供が大人に感染させる可能性があるからという思い込み。

そんな理不尽な状態が、いたるところで見受けられる。

ランニング上級者や運動部に所属している生徒が肩身の狭い思いをする現実。

そんなのは間違っている。運動慣れしていない大人の偏見だ。

走っている人が飛沫感染させるというなら、街で人がすれ違うだけでも危険だ。

スーパーで買い物をしている人々などは、もっと飛沫感染の恐れがある。

ランニング中の飛沫感染を問題視するなら、町中いたるところが危険地帯となる。

リスク回避を求めるのは良いが、自主規制によるものであるのが大前提。

他人からとやかく言われる筋合いはない。それこそマナーに反する行為だ。

ランニングの上級者は、それなりのマナーを心得ている。

部活動で専門的に運動している生徒は、他人に迷惑を掛ける行為はしない。

今更、初心者相手に力を鼓舞したりしない。それをする意味がない。

「密室・密閉・密集」とは、全く関係ないところで「嫌がらせ」は起きている。

「集団で走るな!」

「速いスピードを出すな!」

「数メートルの距離を取らずに横をすれ違うな!」

大人が強い言葉で詰め寄ったら中高生は委縮して屋外を走れなくなってしまう。

屁理屈はいくらでも並べられる。声の大きさで純粋な子供をねじ伏せられる。

もう、そんなことはやめて欲しい。

こんな時だからこそ、優しい振る舞いをして欲しい。

未来を背負って立つ子供達のやることを温かい目で見守って欲しい。

そういう社会になることが「今だからできること」なのだと思う。

ストレスが溜まるのは子供だけじゃない!

自宅に缶詰めの日々が続くと大人だってストレス発散が必要!

大人が楽しめるダンス・エクササイズが、こちら。

無理なく出来るプログラムなので安心してチャレンジ出来ます。

一日の中に30分だけカラダを動かす時間を割いてみよう。

「カラダを動かすって、こんなに気分が爽快になるんだ!」

そう思ったら、明日への意欲が湧いてきます!

 
(30-Minute Cardio Dance and Barre Toning Workout by POPSUGAR Fitness)

東京五輪が延期されればトップアスリートが残念そうにしている姿を取材。

インターハイが中止になれば高校生が悔しそうにしている姿を取材。

それを撮ってテレビで流して何になるのか?

悲しんでいる姿を見せて何のプラスになるのか?

マスコミが欲しいのは選手の涙。

取材に行く前から「しっかり”泣きの画”を撮ってこい!」と言われてくる。

そして、選手が涙を流している姿をドラマチックに編集する。

春の甲子園中止の時も、東京五輪延期の時も、インターハイ中止の時も。

欲しいのは、「泣きの映像」。

その取材スタイルには、正直、うんざりしてしまう。

時には憤りさえ込み上げてくる。

純粋な高校生に「残念・悔しい」と言わせるために上手く誘導する。

「これまでの歴史で一度も無かったことが起きていますね」

「インターハイが中止になったことはないから、目指せなかった人はいない」

「〇〇さんは、全国上位レベルの力があるのにインターハイには出場できない」

「小学生の時から目指してきたインターハイですよね」

「この日の為に努力を重ねてきましたよね」

「ずっと頑張って目指してきた試合が無くなりました」

「力を発揮する場がなくなった今の心境を聞かせてください」

こんな風にガッチリ土台を作って質問されたら返す言葉は自ずと決まってしまう。

よほどインタビューに慣れている選手でなければ”この手”に乗せられてしまう。

選手から「悔しい・残念」という言葉が出てきたら更に追い詰めていく。

「今の悔しい気持ちを誰に伝えたいですか?」

「一生懸命に支えてくれた家族も残念がっているでしょうね」

「気持ちを立て直すのは難しいと思いますが、いかがですか?」

「大きな目標がなくなった今、次の目標って見つかりますか?」

こんなインタビューで得たコメントを選手の心の声として嘘の言葉を添えて伝える。

これは実際にあった話である。本当の出来事である。

新型コロナによる感染防止の為に緊急事態宣言が発出された時から覚悟は出来ている。

休校措置が取られ、部活も休止となり自主練にも制限が掛かる状態から察しはつく。

今更、中止の知らせに嘆き悲しむような生徒は、ほとんどいない。

インターハイが中止!と言われて、突然のことでビックリした!とも驚かない。

生徒達は、今の社会情勢を理解している。

試合など出来る訳ないと覚悟もしていたはずだ。

今は、中高生の多くがスマホを持っている時代である。

記者から初めて中止を聞かされた訳ではない。

昭和の時代ではない。情報伝達のツールはいくらでもある。

概ね「中止になるだろう」ということは、1ヶ月以上前から想像していた。

「まだ分からないぞ!IHは開催されるかもしれないからな!準備しろ!」

そんな風に顧問が声掛けをしたとしても、鵜呑みにする生徒などいない。

ちゃんと情報は伝わっている。自分の置かれている立場を理解している。

今更、何も知らなかったかのように残念がる生徒などいない。

もし、居るとしたら、よほど無頓着な選手なのだろう。

「開催されてもされなくても関係ない」

「大会が開催されたら頑張るだけ」

「中止になっても、あんまり関係ない」

こういう選手にこそ、取材に行くべきだ。

こんな状態でも平然としていられる高校生アスリート!として注目すれば良い。

もう昭和時代の「お涙頂戴インタビュー」は必要ない。

作られたドラマを見せられるのは、もう、勘弁して欲しい。

今の時代だから見えるアスリートの本当の姿を描いた記事に期待をしたい。

「インターハイが中止に!甲子園は?!」

「夏の甲子園も中止なら3年生には悪夢?!」

「高校球児の進路にも大きな影響?!」

悲劇の高校生を演出するマスコミの報道には呆れてしまう。

それ以上に既得権益にあやかりたい高野連の対応には嫌気がさす。

今更、開催の有無を考えるまでもない。

中止の発表を先延ばししても意味がない。

結論を出すのを遅らせれば状況が好転するとでも思っているのか。

決断は早い方が良いに決まっている。そこまでして金儲けがしたいのか。

世界中の主要スポーツイベントが中止、もしくは延期となっている。

国内のスポーツイベントやプロスポーツも再開の目途は立っていない。

そんな状況の中で高野連の考えていることは分かる。

夏までにプロ野球が再開される可能性がある。

プロ野球が再開されれば国民は夏の甲子園開催を期待する。

プロ野球が再開されれば甲子園を堂々と開催できる。

そういう姑息な考えをしているから即刻決断ができない。

守りたいものがあるから中止の決定を少しでも遅らせたい。

その程度の考えしか高野連は持っていない。本当に情けない。


高校野球は、上にも下にも大きな繋がりを持っている。

下とは、少年野球・シニアなどの小中学生対象の野球チーム。

それらのチームの監督・コーチは良い選手を高校へ送る役割を果たしている。

良い選手を高校野球の名門校へ送ることでコーチ陣は様々な恩恵を受けている。

高校野球名門校は、上の舞台へ送る有望選手を獲得する為に下との繋がりを強くする。

上とは大学・社会人・プロ野球チーム。

甲子園で活躍した選手を上の舞台へと送ることで高校野球名門校の名前が売れる。

全国的な知名度を得るだけではない。

優秀な選手を送ることで大きな見返りを受けている。

物品提供は勿論、強化費と称する現金の授受まで普通に行われている。

野球は、お金が掛かるスポーツである。

設備費・用具代・ウェア代・遠征費・治療費・栄養費・勧誘費など。

学校の部活動運営費では賄いきれない出費が多い。莫大な費用が掛かる。

強いチームを維持するには、学校の予算とは別に必要なモノがある。

それを得る為に常に将来有望と思われる選手の獲得がマストな条件となっている。


下から上へと選手を送るシステムで高校野球は成り立っている。

選手を見極める場が甲子園である。

高く売れる選手かどうかを見極める場。

国民に愛されるスター性があるかどうかを見極める場。

将来、伸びしろがある選手かどうかをプロに判定してもらう場。

それが甲子園の本当の姿である。

国民を夢中にさせる感動物語の裏には選手獲得の為の大人の事情が多分に絡んでいる。


高校野球が現在のように広く国民に認知され親しまれるようになった理由。

それは、地元の小さな少年野球チームからスター選手が生れるという夢があること。

地元チームから甲子園の名門校へスカウトされた子がいるという誇りを持てること。

知り合いの子供が甲子園で活躍する姿を皆が楽しみにできるという希望があること。

そういうバックグラウンドがあって高校野球・甲子園は国民の支持を得てきた。

純粋に応援したい人がいる反面、お金に群がる輩が多いのも高校野球の特徴。

高校野球を行うことで得をするのは誰か?

メディアが注目することで利益を得るのは誰か?

甲子園を開催することでより一層の権力を得るのは誰か?

それを考えてみれば「甲子園中止」を簡単に決められない理由が分かる。

中体連、高体連、その他の競技団体の決断より高野連の判断が遅いのはおかしい。

そう口に出来る人物が高野連の中にいることを期待して決断を待ちたいと思う。

全中陸上、日清カップに続き、インターハイも中止の決定が下された。

やはり、危機管理の面で大会開催は困難だと判断しての決断だ。

2020年を迎えた時には、想像もしていなかったことが本当に起きている。

大会が開催されないだけでなく、学校にも行けていない。

このまま夏を迎えることになった場合、2020年度の想い出が半分無くなる。

特に例年通りの卒業式と入学式が行われなかった年代の子供は辛いだろう。

一生の記念になる想い出が一切無い学年として悲しい想い出が残るだけだ。

それでは、余りにも可哀想だ。残酷過ぎる。虚し過ぎる。悲し過ぎる。

どうにかしてやり直しがきかないものかと思ってしまう。

この状態になってしまった以上、時間を元に戻すことはできない。

だったら、元に戻そうとしないで前に進んだら良いのではないか。

海外の学校のように9月を新学期開始にすれば、後戻りしなくてもよい。

8月末までの期間を新制度への移行期間として準備に充てる。

インターハイも全中も日清カップもなくならずに済む。

おそらく開催中止となる公算が高い甲子園も行うことができる。

主要大会を開催する方法はいくらでもある。準備する期間も十分にある。

決断すべきことは9月新学期スタートの制度作りだけ。

勇気ある決断をし実際に動き出してしまえば厄介なことも次第に解決する。

新制度も時間の経過と共にブラッシュアップされていく。

最初は抵抗感があったとしても一年が経過すれば児童生徒は順応する。

今、この瞬間があり得ない状態なのだから、何が起きても不思議ではない。

9月から新学期が始まっても、子供達は違和感なく馴染んでいくだろう。

人は、そうやって時代の変化に順応してきた。

今まで当たり前にあったモノがなくなることを嘆く必要はない。

無くなることを恐れるよりも未来に向かって新しく作ればよい。

これからの時代にマッチした新しい制度を作ればよい。

今こそ思い切った教育制度改革に踏み切る絶好のチャンスだといえる。

「はい、じゃあ、そういう訳で今年は中止ね」

「来年、また別の何かでチャレンジすればいいから」

「こういう年もあると思うしかないよ」

そんな簡単な言葉で子供達が失うモノの大きさを処理して欲しくない。

今こそ頭の良い大人たちの本気の覚悟を見せる時。

これをきっかけに、大きな転換期として、再スタートを切る決断に期待したい。

京都大学・山中教授のような権威と実績のある人の言葉は重い。

山中教授がジョギングのエチケットとして情報発信した翌日。

多くのジョガーがマスクやネックウォーマーなどを着用。

ジョギング中の飛沫感染への予防策が一気に広まった。

最近は、ジョギングをする人が増加。

早朝に走る人、夕方から深夜に走る人など、どの時間帯でも見かける。

それらの人々の多くは、山中教授のアドバイスを素直に聞いて実践している。

それはそれで良いことである。自己防衛の手段としては正しい選択だと言える。

しかし、だからと言ってマスクを着用していない人への嫌がらせは許されない。

呼吸を上げて走っている人、スピードを上げて走っている人への厳しい目。

山中教授の言葉が広がることで肩身の狭い思いをする人も少なくない。

山中教授が指摘するジョギング中の呼吸とは、どのような定義に基づくのか。

ハッキリ言って山中教授のコメントは、言葉たらずである。

足りないのは、「もし感染していたら…」という言葉。

「新型コロナに感染しているが無症状・無自覚な人がジョギングしていた場合…」

それを冒頭に分かり易く、ハッキリと言わなければ、本来の意図が伝わらない。

あの説明では、お互いがお互いを避け合って走りなさいと聴こえてしまう。

「あなたの前を走る人が感染していたら飛んでくるからね」

「飛沫感染するから危ないよ!」

そう理解したと思われる中高年の男性が周囲を気にしながら走っている。

マスクを着用せずに走っている人が横を過ぎると睨み付けている人もいる。

誰が誰に対して注意を払う必要があるのかが曖昧だから悪者捜しになっている。

本当にすべきことは自己防衛であって、他者を責めることではない。

走る人の呼吸を一律に定義することはできない。

どのような速度で、どのような心拍数で、どのような状態か。

ジョギングする人を一律で考えては、個々に条件が全く違う。

マラソンを7時間で走る人と4時間で走る人との呼吸は違う。

4時間台の人、3時間台の人、2時間台の人、それぞれ呼吸の定義は同じではない。

上級者は、速度を上げて走っていても呼吸は上がっていないことがある。

しかし、初心者がゆっくり走ってもゼーゼー呼吸が上っていることもある。

また、一人で黙々と走る人と仲間とおしゃべりして走るのとでは大きな違いがある。

ジョギング中の呼吸とは、一体、何を基準にして考えれば良いのか。

ランニング上級者や専門家には理解出来てもジョギング初心者には分からない。

マスクを着用せずに走ること自体が”いけないこと”だと思い込んでしまう。

言葉を発信する際には、そこまで考えて、条件を定義して語って欲しい。

例え、メディアに一部を切り取られて放送されても分かるように説明する。

そこまで考えて発信して頂ければ、悪者捜しにならずに済む。

大事なことは、他者を思いやる心である。他者を干渉するものではない。

ジョギングやウォーキングする人が優しい心で他者を思いやる社会になって欲しい。

  (iPS山中教授「ジョギング中も感染注意」呼びかけ by ANNnewsCH)

病院内での院内感染・クラスターが起きている。

感染者は、医療施設で増加している。それは当然と言えば当然である。

患者と接触せずに治療は出来ない。

フラッと訪れた患者の見た目では感染しているかどうかなど分からない。

無症状・無自覚の来院者に対して完璧な防御をすることなど出来ない。

PCR検査の結果が陽性反応を示している看護師にも出勤させていた病院もある。

人手不足は否めないとはいえ医療現場に立つ医療従事者は死と直面し戦っている。

感染の有無が目に見えないからこそ院内感染はあっという間に広がっていく。

人と人との接触が感染の原因となる点では、学校も同様の危険がある。

学校を再開した場合、家庭内に止まっていたウィルスは学校内で拡散する。

見た目元気にしている子供が、クラスメイト・担任・教科担任・職員などと接する。

無自覚・無症状のまま家庭から家庭へと拡散していく。

高齢者がいる家庭では、子供が感染させてしまう可能性は否めない。

もし感染させてしまった場合、そこで初めて目に見える形で発症が確認される。

発症が確認された時には、死亡者が一気に増えることは安易に想像できる。

感染のリスクがある以上、学校再開のタイミングは簡単には決められない。

その一方で学校再開を望む声が多いのも事実。

「暇を持て余している子供をなんとかしなくてはいけない」

「毎日やることが無く、友達とフラフラしているだけでは意欲がなくなる」

「学校へ行って学ぶ以外、自ら工夫して取り組めない子供は学力が低下する」

「スマホ・ゲームに夢中で他のことは何もしない」

「出会い系サイトを利用して性被害に遭っている子もいる」

「給食で栄養を摂取していた子供は栄養不足状態になっている」

「家庭内に居ることでDV被害に遭う、あるいは目撃する子供もいる」

「早く学校を再開させないと家庭内に居ては精神衛生上良くない」

「学校を再開した方が子供にとって良い環境が確保できる」

それは納得できる。学校へ行くことで元気を取り戻す子供は多いだろう。

子供が子供らしく生活できる土台となっているのは学校があるからだ。

少しでも早く学校が再開されて日常を取り戻すことが子供の成長に繋がる。

それが分かっているからこそ、感染リスクを減らしてから再開をして欲しい。

体温を計測するだけでは見落としがある。

見た目で状態確認するだけでは感染の有無は確認できない。

望まれるのは抗体検査。PCR検査よりも抗体検査が効果的。

学校で一斉に抗体の有無を確認すればエリア内の感染率も把握できる。

学校再開を決定するなら抗体検査が同時に行われるべき。

それはワンセットでなくてはならない。

やるべきことはすべてやる。それが今、政府がとるべき姿だ。

お金が掛かることであっても国が本気で動けば出来ないことはない。

国民の生命の危機である。日本の将来が懸かっている。

学校再開の決定をするなら全国一斉に抗体検査をする決断に期待したい。

部活が休止中なのだから自主練をするしかない。

学校の校庭は使えない。

公営の陸上競技場も使えない。

だったら、道路を走るか公園を使って走るしかない。

比較的に人が少ない時間帯を選んで仲間数名と一緒に練習をする。

自分のすべきことをルールを守って自主練習をしている児童生徒たち。

日頃から陸上競技者として専門的な練習をしているからこそ安全に走れる。

素人とは違い、自分が走る速度や人との距離感を瞬時に見極めながら走れる。

子供とはいえ、ランニングの上級者である。

冷静に安全を確認しながら周囲にも気を遣って走ることができる。

高い技術を持っているからスピードを自由自在にコントロールできる。

危険な走りなどしない。迷惑をかけたりもしない。する必要がない。

そんな児童生徒たちに「いけず」なことをする大人が増えている。

広い公園内、いくらでも散歩・ジョギングする場所はある。

それなのに”わざわざ”邪魔してやろうと近づいてくる。

ウォーキングコースで歩けばよいのに”わざわざ”ジョギングコースに来て歩く。

普通にジョギングすれば良いのに”わざわざ”待ち伏せして立ちふさがる。

そして、こう叫ぶ。

「おい!あぶねーだろ!」

「スピード出すんじゃねーよ!」

「向こうに行って走れ!」

まったく大人げない物の言い草だ。知性のかけらも優しさもない。

会社に行かずに暇を持て余しているから他人のことが気になって仕方ない。

いけずなことをして、うっ憤晴らしをしたいだけなのだろう。情けない。

「おまえがいけよ!」と言ってやりたい。

自粛生活のストレスを子供にぶつけないで欲しい。

子供に八つ当たりして気分を晴らそうとしないで欲しい。

陸上を本格的にやっているかどうかは、走り方とスピードで分かる。

ふと見ただけで「この子は走りが違う」と一目瞭然で見分けがつく。

それなのに…自分から近づいてきて「あぶねーだろ!」は、ないだろう!

陸上選手は走ることの玄人である。それが小学生であっても同じ。

幼稚園の運動会みたいにガムシャラに走るのとは訳が違う。

自分の走力を把握しているから力を制御して走っている。

安全に配慮してペースコントロールをして走る技術は持っている。

散歩する人が普通に歩いていれば、何の問題も無く安全に横を抜いて行く。

お互いに譲り合いながら存在を認め合って公園に来た目的を達成すれば良い。

他人に迷惑を掛けることも掛けられることもしないのがマナーだ。

しかし、”わざわざ”自分から近寄ってきて大きな声で威嚇する行為が目立つ。

真面目に自主練習をしている子供が嫌な目に遭っている。

自分が公園の安全を守るという正義感を盾に「いけず」な行為をする大人。

大人たちはストレス発散の為に散歩やジョギングをしている。

最近では、普段ジョギングをしない人まで退屈しのぎで走り出している。

それは個人の自由である。好きな時に好きなことをすればいい。

でも、走ることのルールを知らないまま正義感を翳さないで欲しい。

”夢と希望”を持って”夢の実現”の為に頑張っている子の邪魔をしないで欲しい。

子供が見て「嫌な社会」だと感じるような行為は辞めて欲しいと強く願う。



緊急事態宣言はGW後も継続されるという見方が強い。

「このまま、あと2ヶ月間続けた方がよい」と話す感染症の専門家がいる。

期限をはっきりと伝えることで覚悟できる国民性だと論じている。

その一方で”2週間延長”が望ましいと言うメンタルヘルスの専門家もいる。

「一気に”2ヶ月間延長する”と言うと国民に与える”心のダメージ”が大きくなる」

「だから、”2週間延長”を何度も繰り返す方が精神的負担が少ない」

「日本人は大きな波には弱いが、小さな波には忍耐強く我慢できる」

そのように話す言葉に納得できる面もある。

「全国一斉に緊急事態宣言を延長するのは間違いない」

「しかし、その場合は2週間の延長となる見込み」

「問題は、それを何回繰り返せば収束に向かうのかを予測すること」

「一回や二回、延長しただけでは収束の目途は立たないのは明白だ」

「いずれにせよ5月いっぱいは宣言を延長した方がよいだろう」

「東京など主要都市の外出自粛要請は、結果的に6月末まで継続される」

国民に”心の準備”をするよう促すべきだと言う専門家もいる。

難しいかじ取りを各首長たちには求められている。

政治家たちの決断が国の未来を左右する。

今こそ国民の生命と生活を守るために手腕を発揮して欲しい。

ダンスエクササイズほど激しい運動をせずにカラダを引き締めるトレーニング!

15分ずつ、上半身と下半身に分けて落ち着いて行えます。

「ここをシュッとさせたい!」と思っているカラダの箇所をグッと引き締めます。

二の腕、お尻、太もも、下腹部など意図した箇所をピンポイントで刺激します。

「屋外でのジョギングは苦手だけど室内で短時間だけなら出来るかも…」

そういう方には最適のエクササイズです。

是非、一日一回、週三日を目標にチャレンジしてみましょう!

 
(INTENSE AT HOME UPPER BODY WORKOUT (No Equipment) by MadFit)

上半身を鍛えた後は、下半身を引き締めるエクササイズを15分間行います。


(15 MIN BOOTY WORKOUT, LOW IMPACT - knee friendly, no squats, no jumps / No Equipment I Pamela Reif)

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