ランナーズ・ジャーナル JAPAN (Runners-Journal.Jp)

事実に基づいた「真実のコラム」を掲載しています。今だからこそ伝えたい「本当のこと」をありのまま伝えたいと思います。

カテゴリ: 話題のニュース

連日、感染者数が増えていくニュースが流れている。

政府・分科会・医師会からの自粛要請や油断への「警鐘」も連日訴えられている。

そんな中でも構わずに遠征をして合宿をしている危機意識の薄いチームがある。

また、その事実を知っていても黙認している所属企業・陸連・合宿勧誘地の行政機関。

「少しでも経済的な支援になれば良い」

「合宿に行って地方にお金を落とすことが支援になる」

「経済を停滞させないためにも合宿は継続すべき」

「走るのは仕事だから例年通りの流れで合宿を行っている」

「感染症対策を万全にしているので問題はない」

それをニュースで流したら悲痛な思いで生活をしている人たちは、どう思うだろうか。

移動を控えるように。動かないように。自粛するように。

菅首相のように事がバレなければ平気で連日会合に参加していると痛い目に遭う。

一般国民に自粛要請をしている中でも話題にならないように合宿をする。

そんなことが本当にあっていいのか?許されるのか?

スポーツ選手は、特別扱いでいいのだろうか?

真面目に自粛要請に従っている方々に対して何の感情も抱かないのだろうか?

もし、テレビ局が合宿の様子をニュースで流したら、どう思うだろうか?

「それっておかしくないか!」

「自粛って言われたら自粛すべき!」

「スポーツ選手だけが特別扱いなんて許せない!」

そんな感情を抱く人々がいても不思議ではない。

日本のスポーツ界・陸上界が勘違いしているのは、自分達は特別だという意識。

大きな組織の後ろ盾があるから平気で空気の読めないことをする。

みんながみんな、スポーツへの理解者ではない。

みんながみんな、駅伝を開催して欲しい訳ではない。

みんながみんな、スポーツ選手は夢を与えてくれると思ってはいない。

このコロナ禍にスポーツ活動をすることに違和感を抱いている人は少なくない。

「自粛要請期間」に平気で合宿を行っている事実を知れば憤りを感じる人は一定数いる。

分からなければいい。

知られなければいい。

こっそりと行えばいい。

そんな気持ちでいるとしたらスポーツ選手の常識と倫理観を疑われる。

どのような理由があるのせよ世間様に知られないまま済ませることなど出来ない。

少なくとも一部のメディアは、どこで誰が合宿しているかの調べがついている。

「ある日突然世間に知られて後ろめたい気持ちになる」

菅首相のようなことにならないようにして気をつけて欲しいと願う。

箱根駅伝だけではなく実業団駅伝、大学女子駅伝、高校駅伝などでも良く見る胴上げ。

あれは、チームが自主的にしているのではない。

中継するテレビ局や新聞雑誌社からの暗黙の要請で行っている。

ゴール後の胴上げは、半ば仕込まれた演出的な要素が大きい。

ゴール後に胴上げをすることで駅伝らしさを強調する。

翌日の新聞の1面を飾れる。様々なメディアで取り上げやすくなる。

テレビ的に選手の表情を撮るよりも胴上げをすることで視聴率がアップする。

その背景には、スポンサー企業や学校・後援者への配慮もある。

見映えが良いから胴上げや反省会をしているシーンを中継する。

これが本当の理由。メディアによる仕組まれた演出である。

それを感染症対策として打ち出し、各チームに通達するなどは可笑しくて仕方ない。

それを通達するべき相手は、チームではなくメディアである。

当たり前のことを当たり前に行うように通達しているだけなのは、施策とは言わない。

体調チェックシートの提出は、今や小中学生の大会でも当たり前。

何枚もの書類を提出して出場することは、コロナ禍では常識となっている。

報告の義務付けと言っても大したことではない。拒否する理由も必要もない。

大袈裟にニュースにするようなことではない。

先日の日本選手権長距離種目でも観客は普通に入場していた。

国は自粛を求めるものの大会運営者は有観客にして歓迎する。

コロナ対策の為に自粛させたいのか観客を入れて盛り上げたいのかが曖昧。

各種の競技会でも「密」状態は普通にある。

逆に言えば「密」になっていない大会など見たことがない。

お互いを称えるハグはするし、声も掛け合う。

集団練習は当たり前。3~5人の小グループ練習を徹底しているチームは殆ど見ない。

緊急事態宣言が発出された際には、自粛警察が出てあれやこれやと正義感を翳した。

しかし、現在は全く見かけない。大人数で練習をしていても注意されることはない。

人混みになっても騒ぐ人はいない。人混みを避けるような人もいない。

至って普通の生活に戻っている。それが日常となっている。

全国高校駅伝やニューイヤー駅伝、そして、箱根駅伝も普通に行われるだろう。

数万人の人出がある事態にはならないが、数千人の人出になる可能性はある。

来るなと言っても人は集まって来る。

毎年見かける中継所の人混みは規制が敷かれるかもしれないが、近くには人が大勢集まる。

マスク・手袋・防止・マフラーをしていれば恐れるモノは無い。

駅伝ファンは、必ず、来る。

声ではなく心で激励する為に駅伝コースまでやって来てテレビ中継車にアピールする。

それが自分の使命だと思っている強力な駅伝ファン&サポーターには怖いものなど無い。

胴上げや反省会を禁止しても感染症拡散防止策としては、殆ど意味がない。

出走選手以外に全員マスク着用を義務付けても感染リスクは減ったりしない。

大会が開催されること自体、人の流れを促し大きなリスクを伴う。

それを大前提として駅伝大会の開催マニュアル&感染症対策を再考して欲しい。

コロナ禍で例年通りのスポーツイベントが行われなかった影響もあるだろう。

小学生が選ぶ「あこがれの人TOP10」には、残念ながらスポーツ選手は入らず。

1位 竈門炭治郎(鬼滅の刃)

2位 お母さん

3位 胡蝶しのぶ(鬼滅の刃)

4位 先生

5位 お父さん

6位 冨岡義勇(鬼滅の刃)

7位 竈門禰豆子(鬼滅の刃)

8位 煉獄杏寿郎(鬼滅の刃)

9位 我妻善逸(鬼滅の刃)

10位 時透無一郎(鬼滅の刃) 

※アンケートは「進研ゼミ小学講座」の小学3~6年生。
※7661人(女子5170人、男子2491人)を対象。
※今年11月20~23日に実施。


10人中7人が「鬼滅の刃」の登場人物となったのは、まさに子供の心を掴んだ証拠。

今年の社会情勢では、誰も「鬼滅キャラ」には勝てない。

しかし、もし、新型コロナが無ければ、盛大に東京五輪が開催されていた。

東京五輪が行われていれば、日本人のメダリストに大きな注目が集まったはず。

今頃は、連日テレビに出演し、日本のスーパースターとして国民から愛されただろう。

逆に「鬼滅の刃」は、ここまでの超絶人気になっていなかった可能性が高い。

それもすべて巡り合わせ。来年の上半期までは、潔く諦めるしかない。

もし、来年、無事に東京五輪が開催されて、各競技で熱戦が繰り広げられたなら…

来年の今頃は、スポーツ選手が各種のランキングに入るようになっていて欲しい。

小学生にとってのスポーツ選手が、正義の味方であり、美しい心の持ち主であり、

苦しさにも打ち勝つスーパースターであって欲しいと願いながら活躍を期待したい。

8月23日に国立競技場で開催されたセイコーゴールデングランプリ陸上。

女子1500mで日本記録を更新した田中希実選手に注目が集まった、その日。

”小さな奇跡”がある場所で起きていた。

以下は、知人の元新聞記者を通じて聞いた話を紹介する。


その少女について過去の大会結果を調べたところ陸上を始めてまだ一年足らず。

800mのレース経験は、まだ数回しかない少女が”小さな奇跡”を起こした。

誰も予想していなかった記録に競技場内は、どよめいた。

淡々と一人旅を続ける少女の走りにアナウンサーも興奮。

「鳥肌が立つ速さ」と表現した。

その少女がゴールに駆け込んだ時、ゴールタイマーは、2分19秒で止まっていた。

その場に居た大会関係者から聞いた話によると少女には余裕があったという。

「全然苦しそうな走りではなかった」

「ゴール後、丁寧にグランドにお辞儀をしてスタスタと去って行った」

偶然、撮影していた動画を現役実業団コーチをしている人に見てもらうと…

「この子は、多分、2分13秒以内で走れるんじゃないですか」

「1周目と2周目のタイム差が無いから全力疾走じゃない」

「全然余裕そうだし。ラストもフォームが崩れていない」

「きっと1500mの方が向いていると思います」

「こんな子がいるんですね、驚きました」

そう話していたそうだ。

ここまでの話を聞いて、話題の主は、以前から噂になっている少女だと感じた。


女子小学生の記録と言えば、田中希実選手の高校の先輩である高橋ひな選手がいる。

高橋ひな選手は、小学生の時に800mを2分17秒28で走っている。

その記録は、おそらく日本最速記録ではないだろうか。

高橋ひな選手は、その後、記録を短縮していく。

中学1年で2分13秒99。

中学2年で2分10秒19。

中学3年で2分07秒19。(中学記録)

いずれも素晴らしい記録だ。

このような成長が出来る選手は、本当に限られている。

小学生時代からズバ抜けた才能を持っている選手が順調に成長を続けている例は少ない。

だからこそ、ある競技場で起きた”小さな奇跡”が、今後、どうなっていくのかが気になる。

先述した少女が、2分10秒台で楽に走れると仮定すると今後のレースでの走りが楽しみだ。

かつては、スマホなど無い時代だったから”小さな奇跡”は大きな話題にはならなかった。

どこで、誰が、どんな記録を出したのかは、その場にいた人にしか分からない。

しかし、今は、競技場にいる人、全てがカメラマンになれる時代。

この少女が、どんな走りをして、どんな成長を遂げるのか。

競技場に居る人、すべてが証人になる。

今後の大会での走りに注目して少女の成長を見守っていきたい。

沿道では、沢山の人が応援していた。

ゴール地点の伊勢神宮には、何重もの人垣が出来ていた。

そして、テレビ中継する実況の声の後ろでは、こんな声が…

「超、人が出てるじゃん」

「凄い人混みになっているよ」

「これは、ちょっと…」

中継しているテレビ局関係者なのか…大会運営関係者なのか…

レース中に「今年は、沿道での声援はありません」と伝える言葉も虚しかった。

誰が見ても、あれは、人垣だし、沿道には沢山の人が出て選手に声援を送っていた。

そもそも論になるが、日本人に沿道での応援を控えさせることなど出来るはずがない。

駅伝文化が根強く染みついている日本人、特に中高年の方々は、駅伝が大好き。

必死に走る選手が、自分の目の前を通過するのを黙って見ていられる日本人などいない。

「マスクをすれば、ほんの数分間だけ沿道に出るくらいならいいだろう」

そう思うのは必然であり、日本人なら誰でも衝動に駆られるのも当然でる。

それが結果的に通常の駅伝と何ら変わらない光景を演出してしまった。

中継映像を観ていて多くの駅伝ファンが感じただろう。

「これのどこが新様式?」

「これじゃあ、いつもの駅伝じゃん」

「ゴール付近の人の多さを見て大丈夫かなって思った」

やっぱり駅伝は、盛り上がった方が面白い。

沿道に誰も人が居ない駅伝なんて駅伝じゃない。

沿道に多くの人が出て、選手達に心からの声援を送って欲しい。

それが選手にとって大きな力になるし、テレビで観ている側も気持ちが良い。

だからこそ、「現実」から目を背けてはいけない。

無観客や応援自粛なんて「理想」を語って安全対策を市民に委ねるのは無責任。

多くの人が沿道に出て声援を送ることを前提として「現実」を見つめることが大事。

箱根駅伝は、例年通りに多くの人が沿道に出て声援を送る光景が大前提と考えるべき。

それを理想論で誤魔化してしまうと本当に大きなクラスターが起きかねない。

絶対安全な方法などない。どんな方法を使っても感染リスクは避けられない。

しかし、多くの人が集まってもリスクを最小限に抑えられる運営方法はある。

箱根駅伝までは、まだ時間的な余裕がある。準備をする時間もある。

箱根駅伝を通常通り開催することを前提にした安全対策がなされることに期待したい。

体操界のスーパースター内村航平選手が新型コロナに感染した。

しかも、ナショナルトレーニングセンター内での感染。

このニュースは、世界中のスポーツ関係団体、メディア、政府へ大きな衝撃を与えている。

日本国内での感染は、重症化および致死率が低いというデータがある。

このデータは、海外でも知られているので日本国内の感染リスクは少ないと思われている。

しかし、問題点は、そこではない。

トップアスリートが集まりトレーニングをする最先端施設で感染者が出たという事実。

日本国内では、感染拡大防止対策が徹底されていないことをイメージさせる事態である。

外部との接触がなく、マスク着用と手洗いを徹底していても感染してしまう例はある。

どこからどのように感染したのか分からないというケースは珍しくない。

芸能人でもスポーツ選手でも「感染した理由」が分からないという声は聴く。

しかし、日本が誇る最先端スポーツ施設内で感染者が出たということの意味は大きい。

感染拡大を防ぐことが出来ない日本のスポーツ界というイメージを世界中に与えてしまう。

徹底した選手管理をしていたのに感染者を出してしまったというショックは計り知れない。

NTCは、すぐにでも選手利用をシャットダウンすべきだろう。

全ての導線をクリーンにした状態からスタートしないといけない。

事態を最小限に留めようと姑息な手を打って誤魔化そうとしてはいけない。

「たまたま偶然出ただけで、他の選手には影響がない」

そう言って施設利用を継続することがあってはならない。

2週間の施設利用停止などの処置を直ちに行うことが大事である。

迅速な決断と迅速な行動が、結果的に海外からのイメージを良くする。

迷うことなく、誤魔化すことなく、然るべき対応をすることが五輪開催に繋がる。

正しい認識で正しい判断が出来る日本スポーツ界であってくれることを期待したい。

今日の首都圏は、散歩するのも厳しい暑さだった。

涼しかった数日から一転して猛暑日の一日となった。

ものの数分屋外に出ただけで「これはヤバい!」と思う陽射し。

それは、一歩外に出れば分かることだが学校の教員には分からなかった。

危険な暑さの中で運動会を強行し熱中症の生徒を複数人出した学校が幾つかある。

学校の危機管理能力を疑わざるを得ない。

幸い症状は軽症だというが、それで済ませて良い問題ではない。

「この暑さは危険だから中止にする!」

何故、そういう決断が出来なかったのか甚だ疑問でしかない。

「重症化しなかったから良かった」

そんな簡単な言葉では済まされない。

生徒を預かっているという意識と生徒を守らなくてはいけない意識。

教育現場の鉄則は、リスクを取らない管理体制。

万が一にも生徒の生命に危険が及ぶような事態は起こさせない。

どんな理由があろうとも生徒に危険が及ぶことは未然に防ぐ措置を取るのが大前提。

教育現場にいる教職員の方々は、謙虚に真面目に寸暇を惜しんで生徒の為に尽力している。

それは百も承知している。自分の身を削って生徒を守ろうとしている姿も多々見かける。

だからこそ、このようなことが起きるのは残念でしかない。

新型コロナと熱中症から生徒を守る為の施策を地域全体で打ち出すことが今まさに必要だ。



 

「2023年度より休日の部活指導を教員がする必要がなくなる」

部活動の在り方について考えさせられるニュースが話題になっている。

文部科学省は、長時間労働に悩む教員の負担を減らすための改革案をまとめた。

その理由は、休日の部活動が教員に大きな負担を掛けている前提に基づく。

「部活動は、必ずしも教員が担う必要がない業務」

「休日に指導に携わる必要がない環境を構築する」

このニュースを聞いて、まず思うことは、その方が生徒にもプラスになるという点。

部活動が負担になっているというのは、一部の教員のみ。

部活動を生き甲斐にしている教員の方が圧倒的に多い。

部活動を生業にしている教員にとっては「有難迷惑」な話だと怒り心頭だろう。

新型コロナの影響で部活動が休止となった時。

精神的なバランスを崩したのは、練習ができない生徒ではなかった。

指導できないことでフラストレーションが溜まったのは寧ろ教員だった。

部活動がなくなって困るのは教員だというのを文部科学省担当者は理解していない。

運動系の部活顧問が管理職よりも威張っている学校があるのを理解していない。

部活動の現場で行われているのは、圧倒的な縦社会であることを分かっていない。

生徒を「おまえ」と呼び、上から目線で従わせている部活顧問の弊害を知らない。

生徒を利用して自分が得をする方法を知り味を覚えた部活顧問の実態を知らない。

教育とはかけ離れた指導で学校内に王国を作っている部活顧問の存在を知るべき。

自分の「出世」や「袖の下」を得るのを目的としている部活顧問の現状。

「教員が部活動の指導に必ずしも携わる必要がない」

そう言われて困るのは、生徒ではなく教員であることが今後分かってくるだろう。

これで生徒は、部活顧問に気兼ねなくクラブチームに所属できる。

これで生徒は、部活顧問に遠慮なく週末を使って個人指導を受けられる。

部活と言う縛りから解放されて喜ぶのは教員ではなく生徒である。

文部科学省の担当者には、そのことを覚えておいて欲しいものだ。

自分の任期中に東京五輪を開催し、国民に感動を与えて大成功させてから任期を終える。

それが、安倍首相が描いていた理想的なストーリーのはずだった。

しかし、新型コロナウィルスの流行が全てを変えてしまった。

総理大臣を辞任したのは、体調不良が原因と言われているが実際には少々違う。

東京五輪の開催を望む声よりも「中止・延期」を望む声が過半数を超えたことが大きい。

一世一代の大仕事であり自分の力を世界中にアピールできる最高の舞台が無くなる。

それをハッキリと実感できたから、総理大臣でい続ける気力を失くしてしまった。

国民が望んでいない五輪を開催して大失敗をしたら、それこそ汚名を残すことになる。

東京五輪が開催出来ても出来なくても国民の支持を得られるのは難しいと判断。

汚名を残すことは避けたいというバイアスがかかり惜しまれつつ辞める決断に至った。

「東京五輪開催の可能性が低いと察したからあっさりと辞任した」

そういう声があちこちで聞こえる。

つまり、現実的に東京五輪は開催されない可能性が高まっていることを指している。

この辞任報道を通じて「来年の五輪開催は難しい」と世界中へメッセージを送っている。

そう考えると辞任に至った背景が納得できる。

安倍首相が、自らの行動で総理大臣と東京五輪、両方の退き際を決断したと考えると…

歴代最長期間、日本の舵取りをしてきた最高責任者として相応しい身の引き方かどうか。

それは、はなはだ疑問でしかない。

しかし…それはそれとして…まずは体調回復に努めて欲しい。

日体大・健志台キャンパスで20人の新型コロナ感染者が確認された。

それくらいのニュースでは、驚かなくなっていること自体危険な状態だと言える。

全国各地から聞こえてくる学校内での感染拡大。

学校内クラスターは、もう誰にも止められない状況になっている。

重症化する可能性は低いとは言え、二次・三次感染への危惧は拭えない。

現在、小中高校は、夏休み中の学校が多いため感染拡大が抑えられている。

夏休み中、家族旅行へ行ったり、外出の機会が多くなると予想される。

また、部活が盛んになるに従い、あちこちに遠征をする機会も増えるだろう。

一番怖いのは、夏休みが明けてからの9月・10月。

猛暑が落ち着くと同時にウィルス感染の可能性が高まると予想されている。

その時に一日の感染者数は500人以上になっていても不思議ではない。

まだまだ予断を許さない状態が続く。

自己防衛をしながらも他人への感染源にならないよう最大限の配慮が求められる。

大事なのは、ここからの半年間の過ごし方だ。

出雲駅伝が中止になり、全日本大学駅伝と箱根駅伝への影響が懸念されている。

出雲駅伝が中止となった理由は、運営ボランティアを確保出来ないこと。

「65歳以上のボランティアを活用出来ないのであれば開催できない」

そう主催者はコメントしている。

しかし、これは、本音である反面、建前的な理由でしかない。

現実的には、「そんなに大勢の若者に来て欲しくない」が本当の理由。

駅伝選手の中に無症状感染の選手も含まれている可能性は高い。

現在、学生達は、本格的に練習を再開している。

夏休み中に千葉、長野、北海道などで合宿を行う大学もある。

先日北海道で行われたホクレンディスタンスに参加した学生も多数いる。

日を追うごとに、あちこちに移動する機会は、どんどん増えている。

練習再開によって移動が増えれば増えるほど感染リスクは高まっている。

大規模な駅伝を行うには、ベテラン役員・補助員の力が必要不可欠である。

安全かつ円滑に大会を進行する為には、ベテランの方々の力は欠かせない。

しかし、大会を開催するには若者だけでの運営を余儀なくされる。

ベテランの方々を危険な目に遭わせることはできない。

最も危惧すべきは、沿道に集まる人への対応。

沿道での応援自粛を要請しても開催すれば必ず人は集まってくる。

沿道に人が全く出ていない光景になることは不可能に近い。

緊急事態宣言が再び出されて自宅待機を徹底しない限り人は集まるだろう。

緊急事態宣言が出でいた期間。ある朝の光景を思い出す。

その日、朝8時くらいにやむをえない事情があり車を走らせた。

都内のある場所。そこは主要道路となっていて深夜・早朝でも人の往来は多い。

どんな時でも車と人の往来がある大きな道路に人の姿は無かった。

暫く車を走らせたが見事なまでに一台の車も走っていなかった。

歩道にも人の姿は無かった。都内の主要道路に一人の姿も無かった。

まるで映画のワンシーンを観ているようだった。異様な光景に思えた。

あの時、国民・都民が抱いていた危機感は今は薄れてしまっている。

人の往来は絶対になくならない。沿道の観戦者がゼロになることなど絶対にない。

若者だけで大会を開催することなどできない。

若者だけで選手・学校関係者・補助員・ボランティア・沿道の人の命は守れない。

「選手の為に開催して欲しい」

「選手の努力を無駄にしないで欲しい」

「選手が練習の成果を発揮する場を作って欲しい」

そういう感情論で人命を危険にさらすことはできない。

一体、どれだけの人が自己犠牲を払っていると思っているのか。

営業自粛を余儀なくされた多くの人達は、どんな気持ちでいたと思っているのか。

学生達の想い出作りに多くの人命を犠牲にすることはできない。

全日本大学駅伝と箱根駅伝は、今年は中止だと言っても何の疑問も違和感もない。

強行して人命にかかわる事態になった時の責任は誰が取るのか。

勝手に沿道で応援したのが悪い。ボランティアが感染しても仕方ない。

すべては自己責任で済ませて良いのか。

危険な状態を作らないことがアマチュアスポーツの根底にあることを忘れてはならない。

経済効果と言えば聞こえは良いが、結局は、既得権益としがらみから逃れられないだけ。

大きなリスクを冒してまで大会を開催する意味は、全くない。

五輪が延期になるような世界的な非常事態の時に「例年通り」という言葉は必要ない。

学生達だってバカじゃない。今の状態が「普通じゃない」ことぐらい理解している。

中止にしたとしても意気消沈して走ることへの意欲を失くすような学生はいない。

学生であるからこそ、きちんと今の社会情勢をリアルな教材として学ばせれば良い。

陸上しかしてこなかった無知な学生。

足さえ速ければ大学にも入れると勘違いをしている学生。

一般人よりも足が速いというだけで授業料を免除して貰っている学生。

そんな彼らに医療現場で戦う人々の想いが理解できるだろうか。

不幸にも感染してしまい命を落としてしまった家族の想いは想像できるだろうか。

世界中で医療サポートを受けられずに未だに苦しんでいる人々の想いは伝わっているか。

箱根駅伝中止は、それらを学生達に学ばせる絶好の機会である。

「箱根駅伝は人生の全てではない」ことを真剣に考えさせる絶好の機会である。

もうひとつ。世の中には箱根駅伝を目指している学生ばかりではない。

オンライン授業を受けている一般学生の気持ちを考えたことがあるだろうか。

楽しみにしていた学生生活が送れずに精神的に不安定になっている学生も少なくない。

学校へ行きたくても行けない学生達が多くいるのに例年通り駅伝を開催する無神経さ。

そちらの方が常識を疑う。

「学生達は走りたがっている」と言うなら一般学生の気持ちを考えるべき。

「一日でも早く大学へ登校したい」

「苦労して合格した大学へ通って授業を受けたい」

「憧れていたキャンパスライフを思い切り満喫したい」

その想いを理解できるなら自分達さえ満足できれば良いという気持ちは無くなるはずだ。

スポーツ界の常識は、一般社会では非常識。

大学駅伝の某有名監督は、学生達の為にと言うが、それこそ自分本位な考えでしかない。

テレビにも多数出演してコメントする立場の人間としてバランスを欠いている。

未だに満足に学生生活を送れずに悲しんでいる学生達の気持ちを理解するなら…

全日本大学駅伝と箱根駅伝中止を受け入れて、社会情勢とのバランスをとるべき。

選手達には、別のチャレンジを与えて力を発揮する機会を設ければよい。

何も難しいことではない。アマチュアスポーツとしてやるべきことをやれば良い。

駅伝は、プロスポーツとは違う。

「プロスポーツ並みの経済効果をもたらし多くの利権を生んでいる駅伝は特別」

その間違った意識を変えるタイミングが今なのだと関係者は理解すべきだろう。

「学生達に活躍する場を与えてあげたい」という偽りの大義名分は必要ない。

「今年は、代替大会にチャレンジするから、それに全力で挑むぞ!」

その一言で学生達は、理解する。いや、学生であるからこそ理解すべき。

学生の本分は、”箱根駅伝”ではない。

その後、社会人として生きていく上で必要な知識と教養を学ぶことである。

今が最良の学びのチャンスである。このチャンスを逃してはならない。

駅伝では生きていけないことを冷静に学生達に教えることが学生達を成長させる。

「走ろう」ではなく「学ぼう」という指導をすることが指導者としての成長にもなる。

一刻も早く中止の決断をして学生達に必要な「人として大切なこと」を教えて欲しい。

今だからこそ学べることを毎日でも説いて教えて欲しい。

将来、学生達が社会人となり家庭を持った時、その教えは、きっと役立つはずだ。

宮城県の決断は迅速だった。GWあたりには、県中学駅伝の中止を決定していた。

全国中学駅伝が開催されることになっても宮城県代表は辞退する方針を即決した。

陸上競技会について、千葉県は、中体連・高体連共に慎重な姿勢を見せた。

陸上が盛んな県は、少しでも早く試合を開催しようと動くものだ。

「生徒の為にも開催してあげたい」と思う気持ちは全ての都道府県が同じ。

他県が少しでも早く試合を再開しようと動いても、千葉は、慎重な姿勢を貫いた。

大学3大駅伝のひとつである出雲駅伝が中止となった。当然の対応だと思う。

「学生の為に開催して欲しい」という青山学院大学の原監督は開催を懇願していた。

出雲市も原監督も、それぞれの立場でポジショントークをするのは当たり前。

ひとつの組織の長となれば守るべきものがある。

守るべきものがあるのだから、当然、そちらよりの立場で語る。

実際に原監督の発言を支持する声も多い。

しかし、大会を開催する立場の関係者にすれば、リスクマネジメントは絶対条件。

出雲市民を危険な目に遭わせるリスクは何が何でも回避したい。

勿論、出場する大学生や関係者へのリスクマネジメントも必要。

開催する決断をしたら「自己責任で来て下さい」とは言えない。

大会参加に当たっての誓約書を書かせたとしても責任を取るのは出雲市側となる。

観光業で成り立つ県は、大きなリスクを回避する。当然である。

静岡県は、県内で最も盛んな静岡県市町駅伝を開催する方向性で進んでいる。

静岡県は、やはり観光業で成り立っている。

自粛要請期間中は、県外ナンバーの車に「STOP」「来ないで!」と呼びかけた。

神奈川県と静岡県の境界線とも言える熱海市で「来ないで!」キャンペーンを実行。

そうまでしていたのに静岡県内の子供から大人までが参加する大イベントを決行する。

東名高速道路を走ってみれば分かる通り静岡県は広い。

伊豆半島から浜名湖まで風土も気質も言葉も違う。

また、神奈川県、山梨県、長野県、愛知県が隣接県としてある。

県外から人を入れなくても物流拠点となっているのでヒト・モノの動きはある。

そんな静岡県が、ひとつの場所に子供から大人までが集まる駅伝を強行する。

他にも「あれ?今の流れに逆行しているんじゃないの?」と思ってしまう県はある。

大会開催に踏み切る県と中止する県。

どちらが冷静な対応なのだろうか。

どちらが勇気ある決断なのだろうか。

誰が誰を守ろうとしているのか。

誰が何のために開催するのか。

大会開催を進める関係者には、それを良く考えて欲しい。

「すべては参加者の自己責任で…」とは言えないことを真剣に考える必要がある。

恥ずかしいくらいにピントがズレている。

笑えるくらいに視界が狭くなっている。

情けないくらいに勘違いをしている。

冷静に考えれば分かるはずだ。

今の日本に来て観光を楽しみたいという外国人が本当にいるだろうか。

東京都の感染者数が増えているというニュースは、世界中で流れている。

「TOKYO」は、世界的に有名な最先端のBIG CITY。

様々な文化を世界に発信しているオシャレで安全な街であった。

世界中の富裕層や日本文化が好きなコアな人達が安心安全な日本に来ていた。

しかし、今は、新型コロナの感染リスクが高い街として世界中が理解している。

現実的な話をすると世界から見た日本は、アジアの小国でしかない。

余程のことが無い限り、アジアの端っこにある日本に来ることはない。

余程、お金と時間に余裕がある人じゃないと日本を訪れることはない。

興味はあるが、「行くには遠いし物価も高い国」である。

それでも日本を訪れる人が毎年増え続けていた理由は、安全な国だから。

「美しくて、最先端で、安全で、安心して過ごせる国」

そういう認識を持たれていたから多くの外国人が日本を訪れていた。

来年に延期された東京五輪を心待ちにしている外国人が本当にいるのか。

「命を脅かすリスクがあっても俺には日本に行く!」

「何が何でも東京へ行って五輪を観たい!」

そんな気持ちになっている外国人がいるのだろうか。

想像力の欠如。現状認識力不足。当事者意識の欠落。

「妄想に近い願望で突き進んでいるとしか思えない」

友人の海外スポーツジャーナリストは、そう語ってくれた。

明日で五輪開催まで1年だから1年前イベントを開催する。

アスリートからビデオメッセージを集めて世界中に流す。

もう、これ以上、アスリートを道具として使うのはやめて欲しい。

自分達に都合がいいような政治目的でアスリートを利用しないで欲しい。

「五輪は、予定通りにやる!ほら、アスリートたちも待ち望んでいる!」

そんな風に都合よくアスリートを使うJOCや大会組織委員会には憤りを感じる。

「おい!周りを良く見てみろ!誰もついてきてねーだろ!」

「一人だけ張り切っているけど、周囲は、メチャ冷めてんだろ!」

「世界中のどこに、東京五輪開催を待ち望んでいる人がいるんだ!」

「世界中のどこに、今の日本に喜んで行きたいと思っている人がいるんだ!」

そう強く言葉を投げかけても、駄々っ子となっている関係者の耳には入らない。

「やりたい!やりたい!」と駄々をこねている関係者には冷めた視線は届かない。

国のメンツを保つ為に自分達で何かをするなら良い。

しかし、純粋なアスリートたちを利用するのは許せない。

「自国開催の五輪で精一杯の力を発揮したい!」

「東京の舞台で競技人生の集大成を飾りたい!」

純粋に夢を抱いているアスリートの心を惑わすのは絶対に許せない。

今、世界の目が、どんな風に向けられているのかを関係者は理解すべき。

そして、五輪開催ではなく、自分達の退き際を真剣に考えるべきだ。

日本へ向けられた世界の目は、想像以上に冷めていることを自覚して欲しい。

「新型コロナウィルスは、未だに終息の気配さえ見えない」

WHOがコメントを出した。

2020年6月30日現在の報道では、感染者1000万人、死者50万人を超えた。

新型コロナの脅威に現代医学は勝てるのか?!でも解説した通りに推移している。

秋を迎えるころには、現在の倍の数字が報道されるのは安易に予測ができる。

現代の医学では、未だ、新型コロナの脅威には勝てない状況が続いている。

日本では「国民の不安をあおる情報」は敬遠される傾向があるので報道はされない。

日本国内の医療体制は他国と比べて機能しているので取り返しのつかない事態ではない。

最近は検査数が増えた分だけ感染者の数が再び増えているように見えるが事実は違う。

日本国内の感染者数の推移は、当初と変わらずに一定の範囲内に収まっている。

データの算出方法と見せ方が違うだけで爆発的な感染拡大には至ることがないだろう。

しかし、新興・途上国では、恐ろしい勢いで感染者が増加している。

悲しいことだが、なす術がなく死者も毎日増え続けている。

医療従事者の方々は、世界中で懸命な救命措置を施してくれている。

自分達の命を危険にさらしてでも必死の回復・救命措置を施してくれている。

それでも世界中の感染拡大スピードに医療が追いつかない。

未だワクチンの開発と量産の目途は立っていない。

これだけ技術が進歩して最先端の医療技術開発がされている時代なのに…

我々は、ウィルスの脅威を静めることが出来ない。

本当に悲しい現実である。

それでも、新型コロナウィルスに勝てる日が来ることを信じて待つしかない。

奇跡の一歩を信じて、未来を信じて、待ち続けたい。

今、世界中が同じ状況下で自分は何をすべきか考えて暮らしている。

今まで当たり前だった生活が当たり前にできない生活をしている。

そして、自ら考えて行動し前進する術を見つけようとしている。

大人から子供まで、今までと同じではいられないことに気付き始めている。

自分の生き方について真剣に考えて、新しい道へ進む準備をしている。

そんな時に何故、失くした時間を取り戻そうとするのか。

失くしたものを別の何かで埋めようとするのか。

「最終学年の生徒達に晴れの舞台を用意してあげたい」 

「今までやってきたことを発揮する場を作ってあげたい」

「精一杯力を出し切る試合を開催してあげたい」

「甲子園で試合をさせてあげたい」

どうして、こんなにスポーツ界の指導者や関係者はアホなのだろうか。

生徒達は、もう、とっくに気付いている。

今まで通りにはいかないことは理解している。

それを理解させようとしないアホな指導者が生徒の成長を妨げている。

生徒達をスポーツしか出来ない人間にして欲しくない。

狭い価値観で思考停止してしまった人間にして欲しくない。

生徒達は、甲子園という地名の場所に行きたいんじゃない。

ただ単に、あの場所で野球をしたいんじゃない。

理由もなく甲子園の砂が欲しいんじゃない。

ひとつひとつ積み上げてきた努力の結果、勝利を重ねることで掴める舞台。

勝ち抜いた者だけが足を踏み入れることが出来る舞台。

それが甲子園という名の舞台である。

生徒達は、甲子園と言う名の場所に行きたいんじゃない。

何も積み上げたものがない状態で甲子園球場を借りて試合をする。

そんなことに意味がある訳がない。

陸上や水泳などの個人競技は、場所などどこでも良い。

大袈裟に言えば、トラックとプールがあれば、どこでも良い。

互いに競い合って全力を出し切る舞台であれば、それで試合の価値がある。

よりレベルの高い選手が集まって好レースをすることに意味がある。

名も無い競技場でもプールでも良い。大会の規模など小さくても良い。

素晴らしい選手が集まって競い合えば、そこが最高の舞台となる。

陸上の場合、海外の大会は田舎の街の小さな競技場でもビッグレースは行われる。

大きなスタンドなど無い小さな競技場でも100m9秒台がバンバン出る。

中長距離種目でも世界トップレベルの高速レースが普通に行われる。

それがスポーツの面白さであり、あるべき姿である。

甲子園というまやかしの舞台からは何も得られない。

得られるのは、野球をやめてしまえば役に立たない”つまらないプライド”だ。

「俺は、甲子園に行った経験がある」

「今、プロ野球で活躍している〇〇選手と対戦した」

「必死に野球をしてきたから、かけがえのない経験をした」

それは、それで素晴らしいことだが、それではメシは食えない。

甲子園に行ったからと言って将来が安定したりなどしない。

必死に勉強して大学に行き、自分の価値を高める知識を身につけた方が安定する。

勉強しなくても生きていけるかのような日本のスポーツ界の悪しき慣習は必要ない。

晴れの舞台が欲しいのは誰か?

純粋な生徒を使って実績を作ろうとするのは誰か?

自己満足の為に子供を使って”まやかしの舞台”に行きたいのは誰か?

学生スポーツ活動の再開を大人目線で判断するのは教育の本質を間違えることに繋がる。

各競技団体の関係者へ改めて警鐘を鳴らしておきたい。

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