優秀な選手との出会いは、予期せぬ時に偶発的に起こる。

「この子をここまで延ばすぞ!」という意図を持って育てることは稀である。

足の速い生徒が偶然部活に入ってきただけ。特別なことなどせず勝手に育っただけ。

明確に「こんな選手に育てよう!」と計画して段階的に育てることは殆どない。

目の前にいる生徒がどこまで成長できるかなどは実際には誰にも分からない。

突然現れた「足の速い選手」に対して、その場限りの指導をしてしまう。

自分が指導する期間内での活躍だけを考えて結果を求めてしまう。

「今は結果が出なくてもいい。おまえは必ず将来活躍するから大丈夫」

「今は全然勝てなくてもコツコツ練習をしていれば、いずれ勝てる日が来る」

「焦る必要はないから将来活躍する姿をイメージしてワクワクしながら走ればいい」

そんな風に未来を見据えて声掛けをする指導者に出会った選手はラッキーである。

大抵の指導者は、目の前にいる児童・生徒・選手の能力を自分の裁量で決める。

自分の経験を基に「このくらいの能力だろう」と自分目線で決めてしまう。

目の前にいる生徒が将来「大化け」するとは誰も想像もしていない。

マラソンの五輪メダリスト達は、元々は普通の選手。

幼少期からダントツの才能があった選手ではない。

「あの子は、絶対にメダリストになる!」

そう周囲から言われて育った訳ではない。

明らかに断言した大人はいなかった。

しかし、やればできると言って褒めてくれる指導者との出会いが人生を変えた。

実業団に入ってから「夢を実現させてくれる指導者」と出会ったことで才能が開花した。

メダリスト達は、どんな要素があったから「メダルが獲れる!」と思われたのだろうか。

何が要因となって「この選手ならやれる!」と指導者の気持ちを高揚させたのだろうか。

一番の要因は、「純粋な心」を持っていたからだと言える。

普通の選手が「そんなの冗談に決まっている」と聞き流す言葉を真に受ける。

実績のある選手が「メダルなんて難しい」と壁を作ってしまう言葉を素直に受け止める。

「えっ、ホントに?ワタシがメダリストになれるの?!」

「うわー、嬉しいなぁ。ホントになれたらいいなぁ」

「よし、監督の言葉を信じて頑張ってみよう!」

単純な思考が生み出す「人を信じる力」は、大きな”可能性”へと変わる。

「私は出来るんだ!」という自分自身への励ましが確固たる信念に変わる。

”可能性”を引き出すのは、極めて単純な言葉が良い。飾った言葉は必要ない。

指導者自身が自分の言葉を信じて疑わなければ、その言葉は選手に必ず伝わる。

曇りのない清らかな心で真正面から選手に伝えれば、その言葉は選手の心に届く。

目の前にいる選手に対して純粋に「きみならできる」と言えることが大事。

純粋な心が選手に届けば、選手も同じように純粋な心で受け止めてくれる。

カッコつけなくていい。強がらなくていい。虚勢を張らなくていい。

大事なのは、選手の全てを受け止める覚悟と選手を信じる気持ち。

それを持ち合わせた指導者のもとに未来のメダリストが訪れる。