現役の日本記録保持者が日本選手権に出場できない。

トップアスリートとして最低限の力の証である標準記録が突破できない。

短距離選手の場合、100mの標準記録が力の目安となる。

長距離選手の場合、5000mの標準記録が自分の立ち位置を示す。

それが破れない選手がいるのは、残念であり、悲しい現実である。

プロのサッカー選手や野球選手は「戦力外通告」されることで自分の姿を客観視できる。

契約してもらえない自分の姿を素直に受け入れられない選手もいるだろう。

「なんで俺が…」と憤りを抑えられずに現実逃避する選手もいるだろう。

プロ選手なら、そういう「前触れ」が自分と向き合う機会となる。

自分自身を冷静に見つめる機会があるのは精神衛生的にも良い。

アマチュアスポーツの場合、「踏ん切り」をつける機会がない。

周囲が「はい、これまで!」と言わないことは罪である。

メディアも「変に勘違いさせる」報道の仕方をする。

「まだ走れる。まだ活躍できる。さすがだ!」

そう言って踏ん切りをつけるタイミングを失くさせる。

それが精神衛生上、一番良くないことを知らない。

良くないことと知っていて夢を見させるのは残酷である。

中学生よりも遅い記録でしか走れない現実。

自己記録から大きく遅れる走りしか出来ない現実。

そういう状況下にいる元トップアスリートへのメンタルケアが何よりも大事。

勝てなくなってしまった現実を理解させることもコーチングスタッフの役目である。

日本選手権に出場しなくても自分の限界まで走る機会はいくらでもある。

日本選手権以外の大会でも自分を高められる場はある。

活躍の恩恵を受けた所属チームがすべきこと。

それは、退き際を飾る舞台を用意すること。

陸連とスポンサー企業と陸上ファンが協力すれば最後の舞台は演出できる。

「美しい退き際」を皆の力を合わせて用意することが選手の命を救う。

期待だけ持たせて、ネタとして活用し、ボロボロになるまで使う。

引っ張るだけ引っ張って、最後の一滴まで搾り取る。

そして、ある日突然、崖から突き落とす。

そういう悪しき流れは終わりにして、美しく第一戦から退く文化を作って欲しい。

それが選手達の引退に対するイメージを変えて精神状態を安定させることに繋がる。