新型コロナの影響により例年通りの選手強化が出来ないと嘆く指導者は少なくない。

もう何十年も同じパターンで年間計画を考えてきた指導者にとっては計算外の年である。

自分自身の意識改革をするのと同時に選手達にも大きな意識改革を促す必要がある。

一般的には、「休校期間中は、練習が出来なかった」として済まされてしまう。

普通の生徒なら「今年は仕方ない」と考えて諦めもつく。

しかし、アスリートとして生きてきた選手にとっては大きな転換期を迎えている。

毎年同じように試合に出場することでカラダと心を維持してきた選手は苦しんでいる。

練習出来なかった期間に体型が変化してしまい思うように走れなくなってしまった選手。

インターハイや国体などの大きな大会へのモチベーションを消失してしまった選手。

練習は再開しているが、走り方と頑張り方を忘れてしまい未だに本調子にならない選手。

そういう選手は全国各地にいる。しかも、トップレベルの選手ほど深みにハマっている。

逆にコツコツと真面目に自主練をしてきた選手には、運命を変える転換期となっている。

圧倒的に負けていたトップ選手の背中がグッと近づいたと感じている選手がいる。

久しぶりに試合で走ってみたら自分でもビックリする好記録を出した選手もいる。

全く実績の無い選手が、いきなり全国トップレベルの選手へと成長している。

強い選手と弱い選手の一番の違いは「思い込み」である。

たまたま早い段階で芽が出たアスリートは、他者よりも優れている自分に気付いただけ。

活躍出来る自分。周囲から「凄いね!」と言われる自分。注目される自分。

そういう自分の存在価値を知ったから、それを維持しているだけである。

弱い選手の多くは、自分の強さに気付いていないことが多い。

誰からも認められずにいる自分。誰からも「凄い!」と言われずにいる自分。

それが当たり前になっているから勝者になろうとしない。

努力して頑張れば勝てる可能性があることが分からない。

磨けば光る可能性と存在価値を誰からも気付いてもらえない。

何よりも可能性を引き出してくれる”出会い”に恵まれない。

”出会い”がないから「君ならできる」と言われない。

強い選手と弱い選手の違いは「思い込み」という意味は、まさにそれである。

自分の可能性や存在価値を教えてくれて、それを引き出してくれる”出会い”。

教育的観点から言うと学校生活の中で自分の将来への道を教員が導くこともある。

「君は、こういう道に進むといいよ」と言われた言葉がきっかけになることもある。

スポーツの場合は、少し話が違う。

本当の可能性を引き出せる指導者は、極々限られている。

それはスポーツの強豪校と言われる高校でも、大学でも、実業団でも同じ。

良い選手が集まる学校やチームの監督・コーチが優秀なのではない。

選手が優秀だから、良い結果をコーチングスタッフに与えて貰っているだけ。

多くの保護者やメディア関係者は、それを勘違いしている。

どんなに優秀な指導者でも選手に恵まれなくては勝負できない。

チーム団体競技で勝とうすれば、選手に恵まれるかどうかが結果を左右する。

逆に、大した指導力がなくても優秀な選手に恵まれれば勝てるチームは作れる。

スポーツ界には、「アイツは、ホントに運が良い!」と言われている指導者が存在する。

「指導力は関係ない、良い選手を集めたモノが勝つ!」

ある意味、それも指導者としての資質なのかもしれない。

良い選手に恵まれながら一向に勝てない指導者もいる。

「今年は勝つチャンスがある!」

「今年こそは、絶対に勝つだろう!」

「この戦力を揃えて負けるはずがない!」

そう言われながら勝つことが出来ない監督・コーチは、何人かいる。

選手が悪い訳ではない。指導力がないだけ。

学校名やブランド力に惹かれて加入しても良い指導者に出会わないと結果は出せない。

指導者にとって「選手との出会い」は、大事である。

しかし、それ以上に、選手にとって「指導者との出会い」は、もっと大事である。

選手と保護者に必要なことは…

人を見る目を持つこと。

本当の「出会い」を見つけること。

「才能」を開花させてくれる指導者を見極めること。

学校名や企業名ではなく、指導者の本質を見る目をもつこと。

指導者に必要なことは…

チーム名ではなく自分の能力を信じてくれる選手を勧誘すること。

名前につられて加入した選手は、ほぼ間違いなく伸びない。

何よりも不平不満が多い。努力をしないで環境のせいにする。

チームの名前ではなく、自分の指導力を必要としてくれる選手を選ぶこと。

それが、良いチーム作りの土台となり、成功に繋がる。