全中駅伝が史上初の中止となった。しかし…

このニュースを聞いても大きな驚きはない。

大会を開催したかった大人が騒ぎ立てるのも無意味。

生徒は、既に長期間の休校を経験し、短い夏休みを過ごしてきた。

今の状態を冷静に判断して「今ままでとは違う」ことに気付いている。

どちらかと言えば、終わりの見えないコロナ対策の生活が日常となっている。

「えー!マジで全中駅伝が無くなったの?!」

「嘘だ!そんなの信じられない!」

「やる気を喪失して元気が出ない」

そんなことを言う生徒は、殆ど居ない。

もし居るとしたら…

それは、現在の社会情勢を正しく教えていない教員の危機管理不足。

どんな状況でも対応出来るように心の準備をさせておくべきだった。

こういう時、生徒の心のケアを…などと尤もらしいことを言うのも筋違い。

生徒の方が冷静に物事を理解している。

これまでの慣習や常識から頭を切り替えられないのは寧ろ大人である。

「中学生にとって全中駅伝は、オリンピックに匹敵する夢舞台」

その考え方が間違っている。

そんな考え方をする大人が居て、それを生徒に植え付けるからバーンアウトする。

中学駅伝とオリンピックを同じように考える大人がいるから将来伸び悩む。

全中駅伝優勝チームの生徒が、何人、オリンピックに出場しているのか。

9割近い生徒は、中学駅伝での栄光を最高の想い出として競技生活を終わる。

ほんの一握りの選手しか生き残っていない現状に、大きな問題意識を持つべき。

全中駅伝は、義務教育下でのカリキュラムの一環に位置付けられた大会。

教育プログラムの中の”いち行事”である。

オリンピックは、特別な能力を持った超人たちが集う場。

日本の中でも厳しい選考会を勝ち抜き選ばれた本物のアスリートしか立てない。

人一倍の「努力」と「強運」と「出会い」がなければ立てない舞台である。

それを一緒に語ってはいけない。

逆に「オリンピックとは、まるで違うぞ!」と生徒に教えなくてはいけない。

中学駅伝で優勝しても未来は開けない。

優勝しても将来的に活躍する保証などされない。

みんな間違えてはいけない。ここは、夢の舞台でも何でもない。

それをきちんと教えることこそ教育者として大事なことである。

地域に強い選手が多い中学校。

熱心な顧問に恵まれて駅伝への意識が高い中学校。

練習量が多くても文句を言わずに必死に練習している中学校。

その学校が全国大会に出場している現状は、昔も今も何ら変わらない。

中学駅伝燃え尽き症候群。

高校駅伝燃え尽き症候群。

箱根駅伝燃え尽き症候群。

それらの問題を一斉に解決する大きなチャンスを迎えている。

中学駅伝を経験出来ない悔しさは、高校生になってぶつければ良い。

高校駅伝を経験出来ない悔しさは、大学生になってぶつければ良い。

大学駅伝を経験出来ない悔しさは、実業団に入ってぶつければ良い。

その方が、選手寿命もグッと伸びる。

難しく考えることはない。

開催できないものは仕方がない。

世界中で不憫な生活を強いられている今の社会情勢をリアルに学ばせれば良い。

今の非日常的な生活のひとつひとつを経験することこそが中学生には必要である。

全中駅伝に出場するよりも、きっと将来役立つことを学べるはず。

「世の中には思い通りに行かないことが沢山ある」

それを学ぶことができたら、その経験が生徒達にとって将来への生きる力になるはずだ。