47都道府県予選の準決勝(ベスト4)以上に進める学校は188校。

それらの学校から1000人の署名を集めれば、18万8千もの数が集まる。

2000人の署名が集まれば、37万人もの莫大な数になるだろう。

甲子園に行きたいと思っている学校の保護者が真剣に署名をすれば簡単に達成できる。

しかし、甲子園開催を求める署名は、わずか1万人程度。

つまり、殆どの学校の関係者・保護者は、それほど開催を望んでいない。

そう考えるのが妥当な数字の見方だ。

実際には、メディアが騒ぐほど甲子園開催を望んでなどいない。

殆どの国民は、現状を良く理解している。

修学旅行にさえ行けない状態である。

学校行事は、ひとつも行われていない状態である。

それなのに、金の亡者となっている関係者は、未だに理屈を述べている。

「経済効果を考えれば、数百億円の経済損失がある」

「高校球児たちの将来が心配だ」

「今まで必死に甲子園を目指してきた生徒の夢を壊すのは残酷だ」

感染リスクは、綺麗ごとでは済まされない事態であるのを未だに理解していない。

甲子園を真剣に目指している学校。

野球を仕事として将来を決める生徒。

そんなのは、日本国内の全高校生の中の極々一部でしかない。

一部の私立高校が認知度を上げて受験者数を増やす為に野球に力を入れているだけ。

甲子園が開催されなくても痛くも痒くもない高校生の方が圧倒的に多い。

それを間違えてはいけない。

スポーツをやっていれば将来の道が開けると思ったら大間違いだ。

そういう考えで野球や他のスポーツをしているとしたら大きな勘違いである。

スポーツだけをしていてもメシは食えない。

箱根駅伝ではメシを食えない。

甲子園でもメシは食えない。

メシが食える程の選手になれるのは、ほんの一握りしかいない。

甲子園というまやかしの舞台があるから将来、道を誤る高校生が生れる。

自分達は、特別な存在だと勘違いをしたまま育つことで生き方を間違えてしまう。

夏の甲子園が開催されても開催されなくても実際には関係ない。

甲子園が人生を切り開くのではない。

甲子園が将来を輝かせるのではない。

甲子園が立派な人間を育成するのではない。

高校生としてやるべきことをして、一定の学力を備えておけば人生は開ける。

高校生として普通に学業をして、普通に進路選択をすれば、将来への道は開ける。

自分達が特別だと思ったら将来間違いなく失敗する。

自分達が国民に夢を与えていると思ったら自分の価値をはき違えてしまう。

甲子園が無くても「存在価値」を表現できる高校生になるのが本当の教育だ。

高校球児、指導者、学校関係者は、今こそ必要な教育は何かを考える時だろう。

甲子園は、決して特別な場所ではないことを深く理解して欲しいと願う。