小学生時代に陸上と他のスポーツ兼ねて活躍する子供は少なくない。
サッカーと陸上、野球と陸上、テニスと陸上、バスケと陸上、水泳と陸上など。
陸上以外のスポーツがメイン。市内の陸上大会や駅伝がある時のみに参加する。
助っ人選手と言われる子供は多くいる。
前段が長くなるが、他のスポーツをして片手間で陸上をしているうちは良い。
気楽に走れるし責任も生じない。だからプレッシャーなく走れる。
親の考え方は、殆どの場合、こんな感じに見える。
「メインとしているスポーツでレギュラーを取り鼻が高い」
「更に足も速くて自慢できる。ふたつの喜びがある」
小学生時代は、一日中、運動をする時間がある。
二兎を追える時間・体力・環境があるから、こういう勘違いをする親は多い。
ここで忘れていることが、ひとつある。
将来必要となる学習能力を鍛えることにまで目が向けられていないということ。
大事なのは学習する時間を確保して学習する習慣を身につけさせることである。
それを認識していない親の多さには驚くばかりだ。
特に野球界には「野球が出来れば勉強なんて関係ない」という文化が根付いている。
「ウチの坊主は、俺に似て勉強が全然できねぇ」と自慢話にする姿を良く見かける。
「勉強なんてしなくたって野球やってりゃあ大学まで行ける」
「ウチの子供は、勉強が苦手だけど〇〇シニアではレギュラーだから心配ない」
「頭がいいなんて野球には関係ねえ。打って、投げられたら、メシは食える」
今の時代でも、本気でこう話している親が存在するのには、本当に呆れてしまう。
そういう親の学力自体が高くないというのが現実だ。
「お父さんは、何高校を卒業しているの?」
そう訊いてみると返って来る答えは決まっている。
大抵が偏差値35~40程度。典型的なスポーツ学校を卒業している。
しかも、甲子園に出場したような学校ではなく県大会ベスト8や市内大会ベスト4程度。
「甲子園を目指していた」という台詞が決まり文句。
こういう親が一番厄介である。自分が果たせなかった夢を子供に押し付けたがる。
中途半端な立ち位置で野球をやってきた経験が、自分の子供に対する過剰期待に繋がる。
自分が勉強などせずに野球だけをやってきても果たせなかった夢。
「おい、勉強なんかしてたら甲子園にはいけないぞ!」
「勉強をするくらいならバットを振れ!」
本気でそう言って子育てをしている親を未だに見かけることに危機感を感じる。
(桑田真澄☆アマチュアスポーツの指導者のあすべき姿 by 一流びとの思考)
それは、中学生・高校生になってから陸上競技に専念するようになっても変わらない。
「箱根駅伝を走りたいから大学へ行く!」
夢を持つことは大事だが、勉強をする習慣がないままでは大学進学はできない。
「箱根駅伝を走りたいから大学へ行けるだけの学力を身につけよう!」
そうなるのが本来の姿である。しかし、そうはなっていない。
「箱根駅伝に出たいなら、もっと練習をしろ!」
「勉強なんてしなくていいから、沢山走れ!」
これでは、箱根駅伝出場の夢は掴めない。
海外留学についても同じことが言える。
「サニブラウン・ハキーム選手やクレイアーロン竜波選手が行くから俺も行く!」
「うちの子も海外の大学へ進学させたい」
脚が速ければ簡単に行けると思っている認識の甘さには驚く。
語学力の習得というのは、中学校・高校での基礎学力があってこそ養える。
学業成績と脚の速さを別物として考えていては箱根駅伝も海外留学も果たせない。
学習能力を養うという当たり前のことを当たり前に出来ないようでは夢は掴めない。
「スポーツと学習と遊びをバランス良く行いながら育てる」
これが、スポーツをしている子供を育てる親の基本的なスタンスである。
それを理解してから甲子園や箱根駅伝、更には海外留学を考えるべきだ。
勉強しなくて夢が掴めるほどスポーツの世界は甘くはない。
サッカーと陸上、野球と陸上、テニスと陸上、バスケと陸上、水泳と陸上など。
陸上以外のスポーツがメイン。市内の陸上大会や駅伝がある時のみに参加する。
助っ人選手と言われる子供は多くいる。
前段が長くなるが、他のスポーツをして片手間で陸上をしているうちは良い。
気楽に走れるし責任も生じない。だからプレッシャーなく走れる。
親の考え方は、殆どの場合、こんな感じに見える。
「メインとしているスポーツでレギュラーを取り鼻が高い」
「更に足も速くて自慢できる。ふたつの喜びがある」
小学生時代は、一日中、運動をする時間がある。
二兎を追える時間・体力・環境があるから、こういう勘違いをする親は多い。
ここで忘れていることが、ひとつある。
将来必要となる学習能力を鍛えることにまで目が向けられていないということ。
大事なのは学習する時間を確保して学習する習慣を身につけさせることである。
それを認識していない親の多さには驚くばかりだ。
特に野球界には「野球が出来れば勉強なんて関係ない」という文化が根付いている。
「ウチの坊主は、俺に似て勉強が全然できねぇ」と自慢話にする姿を良く見かける。
「勉強なんてしなくたって野球やってりゃあ大学まで行ける」
「ウチの子供は、勉強が苦手だけど〇〇シニアではレギュラーだから心配ない」
「頭がいいなんて野球には関係ねえ。打って、投げられたら、メシは食える」
今の時代でも、本気でこう話している親が存在するのには、本当に呆れてしまう。
そういう親の学力自体が高くないというのが現実だ。
「お父さんは、何高校を卒業しているの?」
そう訊いてみると返って来る答えは決まっている。
大抵が偏差値35~40程度。典型的なスポーツ学校を卒業している。
しかも、甲子園に出場したような学校ではなく県大会ベスト8や市内大会ベスト4程度。
「甲子園を目指していた」という台詞が決まり文句。
こういう親が一番厄介である。自分が果たせなかった夢を子供に押し付けたがる。
中途半端な立ち位置で野球をやってきた経験が、自分の子供に対する過剰期待に繋がる。
自分が勉強などせずに野球だけをやってきても果たせなかった夢。
「おい、勉強なんかしてたら甲子園にはいけないぞ!」
「勉強をするくらいならバットを振れ!」
本気でそう言って子育てをしている親を未だに見かけることに危機感を感じる。
(桑田真澄☆アマチュアスポーツの指導者のあすべき姿 by 一流びとの思考)
それは、中学生・高校生になってから陸上競技に専念するようになっても変わらない。
「箱根駅伝を走りたいから大学へ行く!」
夢を持つことは大事だが、勉強をする習慣がないままでは大学進学はできない。
「箱根駅伝を走りたいから大学へ行けるだけの学力を身につけよう!」
そうなるのが本来の姿である。しかし、そうはなっていない。
「箱根駅伝に出たいなら、もっと練習をしろ!」
「勉強なんてしなくていいから、沢山走れ!」
これでは、箱根駅伝出場の夢は掴めない。
海外留学についても同じことが言える。
「サニブラウン・ハキーム選手やクレイアーロン竜波選手が行くから俺も行く!」
「うちの子も海外の大学へ進学させたい」
脚が速ければ簡単に行けると思っている認識の甘さには驚く。
語学力の習得というのは、中学校・高校での基礎学力があってこそ養える。
学業成績と脚の速さを別物として考えていては箱根駅伝も海外留学も果たせない。
学習能力を養うという当たり前のことを当たり前に出来ないようでは夢は掴めない。
「スポーツと学習と遊びをバランス良く行いながら育てる」
これが、スポーツをしている子供を育てる親の基本的なスタンスである。
それを理解してから甲子園や箱根駅伝、更には海外留学を考えるべきだ。
勉強しなくて夢が掴めるほどスポーツの世界は甘くはない。
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