記録の壁を破る 〜その1〜からの続き。
男子100mの9秒台、男子200mの19秒台、女子800mの1分台などは、この2年以内に壁を破る選手が複数人出てくる可能性がある。他種目も含めて東京五輪が近いタイミングだからこそ、日本記録が破られていない種目での記録更新が期待される。これまでと違う雰囲気が選手の背中を押す原動力になる。
”記録の壁”を破るヒントは、達成出来そうな記録の”更にその先”を見据えたトレーニングをすること。9秒台という漠然とした目標ではなく、より具体的な記録を目指すことが大事だ。例えば、100mなら9秒86〜9秒91、200mなら19秒90〜19秒95、女子800mなら1分56秒〜57秒をイメージしておくと、”一気にブレイクスルーする”可能性が高くなる。
「百分の一秒でもいいから日本記録を更新したい」という謙虚な姿勢は、精神的な気負いなくチャレンジできるという面ではプラス要因になるかもしれない。しかし、それでは、ビックリするような記録は出ない。爆発的な突破力がないとブレイクスルーは起きない。無意識に抱いてしまっている心の壁を取り払うのは簡単ではない。しかし、他者が聞いたら笑われるような高い目標を堂々と口に出して言える”心の余裕”と”タフさ”を身につけることが、不可能を可能にする最も大切な要因となる。
それにしても、春からレースが多すぎる。選手の体力を酷使し過ぎている。海外で行われているグランプリシリーズを日本で真似しても成果には繋がらない。そういうスタイルは、日本人には向かない。同じ筋肉を同じように酷使していては、同じような記録しか出ない。
例えば、停滞している種目のひとつに女子800mがある。現在のトップ3は、北村、塩見、川田であるが、塩見、川田の記録は、2分02秒〜04秒から殆ど動かない。現状のままでは1分台は難しい。塩見、川田の走りには、高校生の時にあった柔らかい動きがなくなっている。カラダから漲るエネルギーがない。全身のバネをフルに使って走っている感じがしない。勢いを感じないのだ。北村が2分00秒で走った時に見られた「しなやかな動き」と「力強さ」そして「カラダのキレ」がない。世界リレーでの塩見の走りは、どうみてもキレがない。どうして、そんな簡単なことに気付かないのだろうか不思議に思う。
「目の前に山があるから登る」のがアルピニストの”性(さが)”であるように、目の前に試合があれば選手は全力で走る。それが、国際大会や国内主要大会と位置付けされたものであれば、尚更、全力で臨もうとする。それをコントロールするのがナショナルチームの役目なのだが、どう考えても「使えるだけ使う」ようにしか見えない。春からカラダを酷使していない北村が、今秋に記録を更新する可能性の方が遥かに期待できる。ナショナルチームに入って言われるままに大会に出場していても記録には結びつかない。結局は、独自の路線を進むことが、”記録の壁”を破る一番の近道になる。
”記録の壁”というのは、一度破られたら一気に歴史が動いていく。日本人が一番理解しやすいのは女子マラソンだ。高橋尚子が2時間20分の壁を破って世界記録を樹立したのが、良い例である。
下記は、女子マラソンの世界ランキングである。これを見ると”記録の壁”がどのようにして破られて、歴史がどのように変わっていったのかが良く分かる。
<女子マラソンの世界ランキング> (2019.5.16時点)
1.2:15:25 ポーラ・ラドクリフ (イギリス:29:ロンドン:2003.4.13)
2.2:17:01 メアリー・ケイタニ― (ケニア:35:ロンドン:2017.4.23)
3.2:17:08 ルース・チェプンゲティッチ (ケニア:24:ドバイ:2019.1.26)
4.2:17:41 デベレ・デガファ (エチオピア:28:ドバイ:2019.1.25)
5.2:17:56 ティルネシュ・ディババ (エチオピア:32ロンドン:2017.4.23)
6.2:18:11 ラディス・チェロノ・キプロノ (ケニア:35:ベルリン:2018.9.16)
7.2:18:20 ブリジット・コスゲイ (ケニア:25:ロンドン:2019.4.28)
8.2:18:31 ビビアン・チェルイヨット (ケニア:34:ロンドン:2018.4.22)
9.2:18:34 ルティ・アガ (エチオピア:24:ベルリン:2018.9.16)
10.2:18:41 キャサリン・ヌデレバ (ケニア:29:シカゴ:2001.10.07)
24.2:19:46 高橋尚子 (日本:29:ベルリン:2001.9.30)
37.2.20.43 テグラ・ロルーペ (ケニア:26:ベルリン:1999.9.26)
50.2:21:26 イングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー:29:ロンドン:1985.4.21)
イングリッド・クリスチャンセンから歴史が動き始めた。クリスチャンセンが女子マラソンの世界記録を近代的な記録へと飛躍させたのが1985年。今から34年前のことになる。2時間30分を切れる選手が、まだ数名しかいない時代、2時間21分という記録が出たと知った時には「そんな記録があり得るのか?」と衝撃を受けた。彼女が、マラソンの世界記録を樹立した翌年、5000m(14分37秒33)と10000m(30分13秒74)の世界記録も樹立している。クリスチャンセンの強さは、他を圧倒していた。今で言うなら、短距離のウサイン・ボルトの強さくらいのインパクトがあった。33年が経過している今日でも、彼女の記録は世界トップレベルで通用する。そんな、”とてつもない記録”と言われていたマラソンの世界記録を14年ぶりに更新したのが、ケニアのテグラ・ロルーペだ。「やっぱりアフリカ勢か。これから先もアフリカ勢が記録を塗り替えていくだろう。」と関係者は思っていた。しかし、2時間20分の壁に挑んだのは、今は亡き小出監督だった。
小出監督は、1970年代から女子マラソンで世界記録が狙えると真剣に考えていた。当時、千葉県立佐倉高校の教員だった小出監督は、それまで100mをしていた女子生徒に長距離への変更を言い渡した。当時の高校女子長距離種目は、800mしかなかったが、「800mを走る為には距離を踏まないといけない。だから、俺と一緒に走りにいくぞ!」と言って20㎞の走り込みをさせた。トコトコ・トコトコ、二人で何時間も走る。来る日も来る日も、それを繰り返した。道路工事をしていた作業員が「あの二人は、一日中走っているなぁ」と感心するくらい、二人でずっと走り続けた。そんな練習の甲斐あって、その生徒は、初マラソンで2時間41分33秒という当時日本歴代2位の記録を出すまでに成長した。その時、小出監督は、こう思ったという。
「高校生が限られた時間の中で練習をして日本のトップレベルになるなら、才能に恵まれた選手に練習を積ませれば必ず世界記録が出せる。世界で通用するのは女子マラソンだ。」
それから、20年後、小出監督は高橋尚子とともに世界記録を樹立した。
世界記録を狙うと宣言し、ベルリンマラソンを日本でも生中継で放送した。日本時間の夕方、日本国民はテレビにくぎ付けとなった。そして、宣言通りの世界記録樹立。日本国民は大いに盛り上がった。王者が王者であることを証明したレースとなった。
しかし、”記録の壁”を一旦破ってしまえば、後に続く選手はすぐに出てくる。高橋尚子が2時間20分の壁を破り前人未到の記録を打ち立てた1週間後。ケニアのキャサリン・ヌデレバが高橋の記録を1分以上短縮する2時間18分41秒で走ってみせた。記録というのは、そうして塗り替えられていく。
現在の世界記録である2時間15分25秒(ポーラ・ラドクリフ)も、やがて破られる日がくる。男子マラソンが2時間の壁を超えたら、女子マラソンも2時間15分を切る選手が間違いなく現れるだろう。そう遠くない未来に、そういう時代がやってくる。それが、日本人選手であって欲しいと願うと共に、小出監督のような「カタにとらわれない規格外の視野と夢を持った指導者」が現れることを期待したい。
日本長距離・マラソン界の歴史を作った最高の指導者
〜その3へつづく〜