小学生であれプロ選手であれ、感覚だけで成長してきた選手は、必ず壁に突き当たる。

そして、壁を乗り越えることが出来ないまま、競技生活を終える。

例えば、プロ野球選手。今の時代では、殆ど見かけなくなったが、かつては、プロになった証として、試合が無い日は、朝まで繁華街で飲み明かし、そのまま球場へ行って試合に出るという”豪快伝説”を持った選手が沢山いた。体調管理などしなくても元気に試合に出ていたし、練習などしなくてもホームランをポンポン打てた。しかし、年齢と共に打てなくなる。打てなくなったのは筋力が落ちたからだと誰かに吹き込まれて”肉体改造”と称した筋トレを何の根拠もなく行う。メディアも”肉体改造で再起を誓う!”などと記事にして騒ぎ立てる。しかし、筋トレをしてカラダを大きくしても一向に打てるようにならない。カラダが重くなった分、膝や腰に負担が掛かり怪我が多くなる。カラダが大きくなったら打てるというのは”まやかし”であることに気付くのは引退してから。普通の生活を送っているうちにカラダがスリムになって軽くなる。動きやすくなるし腰や膝への負担も減る。ゴルフのスコアもずっと良くなる。その通りである。硬くて重い筋肉を使いこなすのは難しい。鍛えることは出来ても使いこなすことが出来ない。筋肉は、柔らかいゴムのような柔軟性がある方が力を発揮しやすい。力みのない滑らかな動きが出来るからこそ、本来の素質を活かしたプレーが出来る。訳も分からずにメジャーリーガーの真似をしても効果はない。ヒットを打っても全力疾走できないようなカラダでは意味がない。自分のカラダを自由自在に使えないようでは、良いプレーは出来ない。逆に、プレーの質は、落ちる一方だ。

考える力があれば分かることを感覚だけでやろうとするから限界を感じる。

考える力は、生活環境によって養われる。ただ、漠然と生活していては、考える力は育たない。幼少期からの家庭内教育によって育まれてきた考える力が土台となって、将来の伸びしろを作っていく。

例えば、箱根駅伝に憧れて「将来は、箱根駅伝の選手になりたい」と夢を語る中学生が二人いるとする。一人は、箱根駅伝出場の夢を親子で語り「いつか走れたらいいなぁ」と憧れる中学生。もう一人は、自分が憧れる大学に所属する選手の出身校や中学時代の記録を調べて、どうやったら箱根駅伝の選手になれるのかを具体的考えて箱根駅伝出場までの道のりをイメージする。イメージをより鮮明なものにする為に、憧れの選手の走り方を真似したり、食事や生活の情報を収集して、憧れの大学に入る為に必要なものが何かをより鮮明にしながら夢を膨らませる。夢を実現することに親も協力して、夏休みを使って憧れの大学を観に行ったり、箱根駅伝の選手が練習している様子をこっそりと観に行ったりする。

夢は、心の中に持っているだけでは実現しない。行動を起こさなければ夢を実現する道は開けない。どうしたら箱根駅伝の選手になれるのかを考えて、必要だと思うことを精一杯取り組む姿勢が夢の実現へ繋がる。ただ、待っているだけでは、夢は向こうからやってこない。考えて行動することで夢に向かって近づいていく。

家庭環境以外の要素では、やはり、部活動の指導者の影響は大きい。

根性論ではアスリートは育たない!にも書いた通り、力でねじ伏せるような指導をしていては考える力は養われない。

「俺が言う通りにやればいいんだ!」
「何も考えなくていいから、兎に角、言われた通りにやれ!」
「お前たちは、考える頭がないんだから余計なことを考えるな!」

こんな指導が一部の球技スポーツや駅伝の強豪校で未だに行われている。

こういう指導を受けていると選手の心は荒んでしまい思考停止状態になる。ある高校の指導者は、大声で怒鳴って恐怖感を与え、選手が思考停止になるように意図的に仕向けている。半ば、マインドコントロール的に選手を支配する指導をしている。在学中は何の疑問も持たないが、卒業後、他選手の姿を見て「考えられないくらいに伸び伸びとしている」ことに驚く。大学の監督に対して自分の意見を堂々と伝える姿を見てカルチャーショックを受ける。自分も自己主張してみようと監督の前に立ってみるが、いざ、監督と向き合うと高校時代を思い出し何も言うことができない。それを治すのに3年かかったという選手もいる。

自分が全てコントロールして厳しく指導しているから選手は活躍出来ていると思うのは間違いだ。指導者がいなくても、結果を出すために必要だと思うこと自分達で考えて行動するように導くのが正しい指導である。これは、全てのスポーツにいえることだ。高校総体が行われている時だからこそ、もう一度、強く言いたい。

考える力を養ってこそ、将来的に活躍するトップアスリートが生れる。