”退き際の美学” という言葉がある。

「まだやれる」と惜しまれながら辞めるのか、ボロボロになるまで続けて「もう限界かも…」思われて辞めるのか。

ドラマやアニメのように”美しくハッピーエンドに幕を閉じる”ということは、現実的には難しい。

多くの場合、アスリート自身は、退き際が分からない。

トップアスリートは、持って生まれた素質に加えて、長年の経験で得た調整力によって日頃の練習では出来ていないことでも本番で出来てしまうことは多々ある。

絶対王者と言われる立場になると「それじゃあ、ダメだよ」と指摘されることがなくなる。周囲も、「練習では出来ていなくても、どうせ、いつものように本番ではバッチリ合わせるだろう」という目で見てしまう。

「何かが違う」という感覚を誰にも共感してもらえず孤独に戦うことになる。

しかし、周囲から称賛されるパフォーマンスをしても、内心では「何かが違う」と思いながら勝ち続けていくうちに、その「何かが違う」という感覚が現実のものとなって表れる日が突然やってくる。

「まだ頑張れる」「もっと出来る」という周囲の想いは、必ずしもアスリートを支える言葉にはならない。

彼らの苦悩を、彼らの葛藤を、彼らの自分自身への失望を…誰にも理解することは出来ない。

彼らが戦う意志を持って「戦いの場」に立つ限り、どんな結果であっても応援し続けること。

”ありがとう”という言葉を持ってエールを送ることが、今、我々にできることだ。

我々にとって、彼らが「王者」であるのは、永遠に変わらないのだから。